あなたに微笑む
「名乗ったら伯父さんに怒られるだろうから、ごめん。でも、字は…仲権ってんだ」
「もしかして、夏侯一族の……?」
「え!?まま、待った!それ以上は言わなくて良いから!聞かなかったことにしてくれ!」
仲権、それは夏侯淵の嫡男・夏侯覇の字である。
将来的に、魏での立場を悪くした彼は、身内の縁を頼って蜀に亡命することになる。
夏侯覇という男は、劉禅の妻となる張皇后・星彩の従兄弟伯父に当たる由縁だ。
正しい歴史では、蜀のために生きることとなる青年。
だが、彼の父である夏侯淵は…蜀の五虎将軍・黄忠の手で命を落とした。
悠生が信頼を寄せ始めていた、弓の師…そして居場所の無い悠生の養父となってくれるはずだった黄忠が、夏侯淵を殺したのだ。
「僕は…蜀の五虎将・黄忠の養子です。黄悠といいます」
「なっ」
「驚きましたか?あなたが綺麗だとお褒めくださった弓は、黄忠どのに習ったものです」
悠生にも彼にも関係の無い話ではある。
胸のうちにくすぶっていた後ろめたい想いを口にすれば、青年・夏侯覇は初めこそ驚いたような顔をしたが、にこりと笑って、一歩一歩近づいて来る。
悠生は警戒して後ずさるが、夏侯覇は大丈夫とでもいうかのように、笑顔を見せた。
「黄悠。字は?」
「悠生、と…」
「そっか。悠生か。あんた、背が俺とちょうど同じぐらいだな。年はいくつなんだ?」
などと、身長を比べて、愛くるしい笑顔を浮かべた夏侯覇。
悠生はすっかり気が抜けてしまい、同じ高さで視線を合わせ、小さな声で言った。
「十四歳…もうすぐ十五になると思います」
「十五!?若すぎるだろ!年相応ってことか…それはちょっと悔しいな」
「仲権どの、こんなに敵に近付いたら、怒られてしまうのではないですか?」
それは悠生も同じこと。
夏侯覇は、油断させ不意をついて襲って来る、なんて卑怯な真似はしないだろうが、敵とこれほど近付いては、三成に呆れられてしまうだろう。
「父さんは、一度死んだけど…今は昔みたいに面白おかしくやってるよ。蜀のじいさんとまた戦いたいって言ってる」
「……、」
「親同士の仲が悪いからって、俺達までギスギスするなんて嫌だって。せっかく出会えたんだしさ…」
夏侯覇は口をもごもごさせ、少し照れたように俯いた。
父の仇の養子、なんて考えは既に消え去っているようだ。
「悠生、やっぱりあんたは綺麗だよ。桜の花じゃなくて、俺はあんたを捜して来たんだぜ」
「そんなことを言われると、錯覚してしまいます。仲権どのは敵なのに、優しい人。だから僕は…甘いんですよね。もう、戻らなくちゃ」
悠生は拱手をすると、夏侯覇に背を向け、急いで立ち去ろうとした。
その背に花の香が匂い立つ一陣の風と、力強く頼もしい声がぶつけられる。
「遠呂智は俺達が必ず倒してやる!次に会う時はまた、背比べでもしようぜ」
悠生は一度だけ、振り返って夏侯覇を見た。
純白の花が散る、その中に、大きく手を振って見送ってくれる彼の、印象的な明るい髪が目に入る。
(綺麗なのは、仲権どのの方じゃないかな)
悠生は夏侯覇から目を逸らしてこっそりと微笑むと、言葉もなく足を早めた。
平和な世で、互いに成長した姿を見せることが出来れば…、そのときはもっと素直に、友達のようになれたら、それはとても幸せなことだ。
END
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