計り知れない想い
「周泰に想う女子が居る。だが周泰自身は己の想いを認めようともせず、しかも喧嘩別れをしたようでな…更にはもう二度と会わないと私の前で断言してしまったのだ」
「まあ!そのような大変なことになっていたのですね。周泰殿の想い人とは、どのようなお方なのでしょうか」
「兄上の法要で音曲を披露した楽師の落涙という娘を知っておろう?お前も、良き音曲だったと褒めていたはずだ」
楽師の落涙、彼女の旋律には練師も覚えがあった。
孫権が言うように、孫策の法要で、年若い笛吹きの落涙は、孫策を慕う大勢の仲間の前で、見事な鎮魂歌を奏でた。
あれほどに美しく、心の琴線を震わせる音曲を耳にしたのは初めてで、練師も心底感動し、涙を流したのである。
その落涙の護衛として、一時期周泰が孫権の傍を離れていたことは練師も知っていたが、まさか孫権一筋で誰より忠義に厚い周泰が、楽師の娘に懸想するなどと、誰が予想しただろう。
しかし…孫権は言いにくそうに事の次第を話し始める。
ある時から、落涙は幻術師と疑われ、監視役として周泰が傍に居た言うのだ。
結局、彼女に怪しい様子は見られなかったらしい。
悪戯に時間は流れ、監視をする日々が続く中、いつしか、落涙に惹かれていった周泰だが…、ある日、監視をしていた事実が落涙自身に知られてしまい、傷付いた彼女は泣きながら周泰を突き放してしまったそうだ。
「周泰が落涙を想い、傍に置きたいと思っているのは明らかなのだが、周泰は言い出したら考えを曲げようとしない。だからといって、私の命令として、無理矢理に従わせることなどしたくないのだ」
「孫権様はお優しいのですね。でしたら、私が周泰殿にそれとなく話をしてみます」
「すまないな。だが、周泰の幸せも、私の幸せだ。練師、二人が仲直り出来るよう…宜しく頼むぞ」
練師は落涙という娘についてあまり知らないが、周泰とは戦場で共闘した仲である。
だから、彼は人一倍不器用なだけで、冷たい男では無いと知っている。
周泰と落涙が結ばれたら、きっと孫権は喜んでくれる…、練師は愛する人のために、同志の恋が成就することを願った。
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