静かな居場所



「あ、あの…ありがとうございました…!とても、大切なものだったから…良かった…」


なんとかお礼を言うことは出来たが、緊張と恐怖で、身体が思うように動かない。
全身に震えが走って、指輪を拾うこともままならなかった。
悠生を救った通りすがりの見知らぬ男性は、身を屈めて指輪を拾うと、悠生の手に握らせる。


「礼を言われるようなことはしていませんよ。あちらの方で偶然出会った子供が、貴方を助けてほしいと騒いでいるのを聞いたので」


どうやら先程、手を貸してあげた子供が、悠生の危機を知って助けを呼んでくれたらしい。
彼が律儀に子供の願いを叶えたのには、悠生が思い至らなかったほどの特別な訳があるようだった。


「それに、貴方を救えば、趙雲殿や阿斗様に恩が売れる」

「僕のことを、知っているんですか…?」

「ええ、悠生殿。貴方は城内では有名ですよ」


阿斗様の寵愛を一心に受ける子供が居る…、いったいどのような人物かと興味を持たれないはずがないだろう。
しかし悠生は取り柄の無い凡人で、どうしてこんな子供が優遇されるのか、と疑問を抱かれている可能性がある。
…むしろ、疑問よりも、妬みや苛立ちだとか、不満を持たれているかもしれないのだ。
皆よりも恵まれた環境にあるのに、飛び抜けて秀でたところがある訳ではない。
読み書きを覚え、礼法を学んでも、自分には身を守り、一人で場を切り抜ける力さえ無い。


「それで、悠生殿はお一人で何をなさっているのです」

「実は、迷子に…趙雲どのとはぐれてしまって…」

「では、目立つところでじっとしていましょう。今頃、趙雲殿は必死に貴方を捜しているでしょうから」


落ち込んでうなだれていた悠生の手をとった男性は、先程悠生が考えた通り、大通りの方へ向かって歩き出した。
彼がここまで親切にしてくれるのは、やはり恩を売ろうと考えているためか。


「あの、えっと…あなたの、お名前は…」

「私は法孝直。法正でも孝直でも、お好きな呼び方でどうぞ」

「っ……」


法正…彼は諸葛亮やホウ統に並ぶ、世に名高い軍師である。
三国志を愛する悠生が、その人の名を知らないはずがなかった。
史書に伝わるように、利用出来るものは利用する冷徹な男だとしても、今此処に居る法正は素直に優しい人だ。


「…僕、法正どのに会えて凄く嬉しいです」

「おや、おかしなことを言う人ですね。では、いずれ貴方が阿斗様の元で出世された暁には、今日のお返しを期待しても良いですか?」


少しだけ、沈んでいた気持ちが晴れたような気がする。
法正は、悠生が大人になっても蜀の国で暮らしていると、当たり前のように口にするのだ。
不安を感じていた悠生にとっては、胸の苦しみを一つ、減らしてくれる言葉だった。
はいと言って頷くと、法正は口端をつり上げて笑う。
一見すれば、裏があるような微笑みだが、悠生は彼のことを信頼したいと思った。
だって、手を握っている法正の手は、思いのほか優しい。


 

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