虚しい錯覚



趙雲は阿斗の邸内にある、悠生の部屋に向けて足を進めていた。
深く考えることでもないのだが、疑問を抱えたままでは執務にも手がつかない。

昨日、趙雲の代わりとなる新たな学問の師として、文官の黄皓を紹介した。
黄皓は真面目な男で、人当たりが良く、評判も悪くはない。
人付き合いが苦手な悠生の師には適役であろうと趙雲も思っていたが…、黄皓の名を耳にした直後の悠生は、顔を青くし、震え、怯えていた。


(無理をしているのは明らかだ。昨日のように、体調を崩してはいないだろうか…)


過保護と言われれば否定できない。
赤子の頃から阿斗の面倒を見、その成長を見守ってきた趙雲だが、悠生がやって来たことで、手の掛かる弟がもう一人増えた気分でいた。
つまり趙雲は、悠生のことが心配で仕方がないのだ。

彼が黄皓を拒絶する理由は全く分からないが、これから毎日、二人は密室で勉学に励むことになる。
それでは悠生の身が保たないだろう。


(ん?阿斗様か…?駄々をこねていらっしゃるのは…)


悠生の部屋の前がやけに騒々しい。
急ぎ其方に赴けば、困り顔で扉を立ち塞ぐ女官と、声を張り上げ喚いている阿斗の姿があった。
女官は阿斗のお守り役・趙雲の登場に、ほっと安心したようだ。


「阿斗様。如何なされたのですか?」

「子龍!悠生の体調が思わしくないと言うのに、この女官が私の入室を拒むのだ!」

「悠生殿の体調が…?」


子犬のように喚く阿斗の言い分が事実ならば、女官の行いは正しいはずだろう。
悠生が安静にしなければならない状況なら、医師以外の人間を入室させる必要は無いのだ。
風邪など他人にうつる病かもしれないので、尚更、阿斗を部屋に入れる訳にはいかない。

女官が言うに、黄皓は悠生の体調不良に気付き、部屋を出て医師を呼びにいったそうだ。
しかし戻ってきたのは医師だけであり、黄皓の姿は何処にも見られなかったのだという。


「では、私が様子を見て来ましょう。阿斗様は自室でお待ちになっていてください」

「なれど…!いや、分かった。任せよう」


素直に、という訳ではないが、阿斗は渋々趙雲に悠生を託したのだった(やはり、不服な様子がうかがえる)。
我慢を覚えても、不機嫌そうな顔を隠さない。
必要以上に趙雲が悠生に近付くことを嫌がっているのだろう。
阿斗に視線で急かされ、趙雲は苦笑しつつも戸に手をかけた。

…悠生の部屋の中は、静まり返っていた。
机の上には、使われた気配が無い筆や墨が残っている。
黄皓に呼ばれて訪ねてきた医師は、悠生が寝込んでいるようで診察が出来なかったのだと言うが、趙雲が朝餉の時に顔を合わせた悠生は、元気こそ無かったが具合が悪そうには見えなかった。


(悠生殿…眠っているのか…?)


寝台の上で、掛布にくるまり微動だにしない悠生を暫しじっと見つめていた趙雲だが、意を決し、静かに手を伸ばした。
寝顔を確認するために、掛布を掴み、めくろうとしたら…


「っ…いやだ!僕に触るな!」

「悠生殿?」


弱々しい怒声と共に、手を払いのけられてしまった。
らしくもない、あからさまな拒絶反応に驚き、呆然する趙雲だが、未だ掛布で顔を隠そうとする悠生に、疑問を持たずにはいられない。
現に今も…小刻みに震えているのだ。
泣き喚くことも出来ずに声を押し殺そうとするあまり、すすり泣くようなくぐもった声ばかりが耳に響く。


 

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