祈りのために
(また…見てるだけ…?何も出来ないんだ…)
悠生は関平の服を、手が白くなるほど強く掴んでいた。
泣きたくなんかないのに、じわじわと涙が滲み、それを拭うこともままならない。
未来を、結末を知っていることが、ここまで辛いとは思わなかった。
悲しいことを何も知らずにいたら、笑って見送って、関平の無事を祈ることだって出来たかもしれないのに。
「今…悠生殿が欲している言葉を、拙者には口にすることが出来ません。ですが、理由が出来ました」
「理由……?」
「少しでも良いのです。拙者のことを思い浮かべ、帰還を願ってください。悠生殿の想いが、拙者の力になりましょう」
純粋で…そして、正直すぎる人だと思った。
関平は素直に、自分自身を未熟者だと思っている。
嘘を言うことが出来ない、だから、子供相手であっても、気軽に約束も交わせない。
でも、その約束を糧にすることも出来る。
約束を果たすためにと、強い意思を持ち、それを力に変えることが出来る人なのだ。
「関平どの、これ、持っていてください」
「これは…指輪?」
「貸してあげるだけです。お姉ちゃんの…僕と血は繋がっていないけど、僕を助けてくれた大事なお姉ちゃんの形見だから、ちゃんと…返してくださいね…?」
関平の手のひらに、小さな指輪を置く。
死に際の美雪に貰った翡翠の指輪だ。
悠生の一番大切なものだけれど、どうしても、関平に持っていてほしかった。
「ですが、これを拙者に預けたら、悠生殿は寂しい想いをされるのでは…」
「大丈夫です。僕にはもう一人お姉ちゃんがいます。お姉ちゃんはきっと、生きているから…寂しくなんかないんです」
恩人である美雪、生き別れとなった咲良。
二人の姉の存在が、綺麗な思い出として残っているから、大丈夫なのだと告げる。
八割方強がりではあったが、寂しさを悟られぬように悠生は視線を逸らして言った。
指輪は相手を戒めるもの。
愛情の証は、束縛の証でもある。
この指輪を僕に返すためにも、帰ってきてください。
悠生の気持ちが痛いほど伝わったらしく、関平は指輪をぎゅっと握り締めた。
「ありがとう…悠生殿。首から下げて、御守りとして持っていきます」
「指に、はめられませんしね」
「拙者には少々、小さいもので…」
きっと、変わらない。
目前に迫る関平の死、悲しみの連鎖。
蜀の衰退は、既に始まっていたのだ。
まだ、誰も気付かないぐらい僅かな変化ではあるのだが。
(関平…どの…、)
死なないで、と願う一方、本当は、蜀の天下なんてどうでも良いと思っている。
夷陵の戦いの引き金となる関羽の死が、悠生にとっては不都合なだけなのだ。
悠生の願いは、せめて此の世界だけでも、劉禅の評価が史実とは違うものであってほしいということ。
だから、夷陵の戦いは起きてほしくない。
幼い阿斗を一国のトップにするのは、早すぎるのだ。
どんなことをしてでも、大好きな阿斗の名誉だけは守りたかった。
「悠生殿のもう一人の姉上とは…どのようなお方なのですか?」
「お姉ちゃんは…音楽が好きで…ちょっと泣き虫です。でも、僕によく似ているみたいです」
「優しい女性なのだろうな…悠生殿の姉上は…」
いつかお会いしてみたいものだ、と関平は笑った。
その笑顔は普段と変わらないはずなのに、何故だか眩しく見えて…、悠生は再び溢れ出そうな涙をぐっとこらえた。
阿斗が一番であることは変わらなくとも、関平は同じぐらい大切な存在なのだ。
必ず、帰ってきて。
今はただ、願うことしか出来ないけれど。
END
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