ある男への挽歌
「馬超どのは…大切な人と離れ離れになったとき…泣かなかったんですか?」
「俺が何故、泣く必要がある?」
「誰かに、泣かないでって言われたの?」
その質問は子供っぽくて、口にした後恥ずかしくなったが、馬超は俯いたまま小さく笑った。
「泣かないで、とは言われていないが、俺に涙は似合わないだろう?」
「だけど、馬超どの…、寂しいのかなって…。僕も、お姉ちゃんが死んじゃった時、涙を我慢しようとしたんです。でも、次の日、泣きました。馬超どのは…?」
「俺は……」
ホウ徳戦死の報せを聞いても、泣かなかったんでしょう?
何も語らない馬超の様子から、悠生は彼がここ最近、最も大切な人を失ったのだということを悟った。
ホウ徳は、関羽に殺された。
最後まで、彼は曹操に尽くしていたのだ。
(どんな想いで死んだの?少しは馬超どののこと、考えてくれたのかな)
遠呂智が降臨すれば、きっとホウ徳は生き返るだろう。
死ぬ前に、馬超に直接会って、きちんと伝えておきたかった言葉だってあるはずだ。
だが、プライドの高い馬超は喜ばない。
何日も辛い想いをし、ホウ徳の死を受け入れた馬超が、不義の塊である遠呂智の影響で甦ったホウ徳を、そう簡単に受け入れられるはずがない。
「共に祈ってくれるか?彼の御仁が、無事に蒼天へ辿り着けるよう」
馬超は悠生を地に下ろし、屈んで、目線を合わせた。
涙を流す気配も無く、笑っているけれど…どこか、儚げな笑みだった。
「悠生殿の姉上は、今も貴殿の中に生きている。違うか?」
「違いません。僕は、お姉ちゃんを忘れていないから」
「そうだ。俺の中にも、皆は生きている。だから、生き返ってもらう必要は無いのだ。少々寂しい…のは、否定しないがな」
くしゃくしゃと髪を撫でられた。
寂しさを押し殺して生き続けていた馬超は、何を思いながら、悠生を見下ろしているのだろうか。
父、それとも息子?ホウ徳のこと?
大切な人は、思い出の中に、生きている。
綺麗なまま汚されない、思い出の中に。
(凄く、強い人だ…、気高い、ってこういう人のことを言うんだな)
馬超の言葉は悠生の胸にも強く響いた。
彼の本心に触れられた気がして、悠生は嬉しかったのだ。
危険を侵してまで死者を甦らせる必要など無いのだと、人として真っ当な結論を出すことが出来た。
だから、遠呂智の存在は望まない。
三国志の歴史には、遠呂智は不要だ。
「ホウ徳殿は…西涼の空を好んでいたな」
「馬超どのの故郷って、どんな場所ですか?」
「素晴らしい地だぞ。劉備殿が天下を治められた暁には、悠生殿とマサムネを西涼へ案内しよう。きっと、気に入られるはずだ」
馬超は何があっても泣かないのだろう。
不敵な笑みを携えて、真っ直ぐ駆けて行くのだ。
ホウ徳は天国から、悲しいほど気丈な馬超を見守り、心配しているはず。
それでも。
二人の距離は、彼が生きていた頃よりずっと、近いはずなのだ。
(僕と美雪さんも。咲良ちゃんも…)
ポケットの中の小さな指輪を握る。
馬超はまだ陽の昇りきっていない朝の空を見上げていた。
緩やかな風に靡く頭飾りが、まるで白馬の鬣のようで、綺麗だった。
END
[ 64/417 ][←] [→]
[戻]
[栞を挟む]