月下の影法師
なんとかマサムネの背に跨ったが、右手が痺れて手綱が握れない。
先程の恐怖を思い出した途端、ぶるぶると全身が震え始めた。
じわっと瞳に涙が滲んだが、此処で泣いても周泰を困らせてしまうだけだと思い、悠生は袖でごしごしと涙を拭い、必死に耐え抜いた。
誰にも負けない、勇気が欲しい。
どんなことがあっても、逃げない勇気を。
辛い逆境の中でも、好きな人を想い、守ることが出来る勇気を。
「…黄悠殿…」
「周泰どの…お姉ちゃんのこと…好きになってくれて、ありがとうございました…!!」
「……、」
咲良が周泰を愛したなら、きっと、全てを語ったことだろう。
周泰も咲良を愛しているから、全てを受け入れたのだろう。
それもまた、大きな勇気。
姉を愛してくれた周泰に、感謝をしたいと思った。
こんなときに…、いや、こんなときだからこそ、言わずにはいられなかった。
周泰は何か言いたげだったが、結局は口を結び、そして最後には小さく…微笑んでくれた。
その笑みが、全てを物語っていた。
悠生もつられて微笑み返す。
この時初めて、周泰のことを義兄だと思えたのだ。
(周泰どのは…十分咲良ちゃんを守ってくれたよ…)
今はただ、ありがとうと言いたい。
それはとても素敵な言葉だと知っているから。
もしも、尚香の望み通り、咲良と再会することになったら、やっぱりありがとうと伝えよう。
それが、心からの気持ちだ。
大好きな姉への、最後のメッセージなのだ。
「…敵…逃亡…」
しゅたっ、とすぐ傍に現れた半蔵が、思わぬ事実を告げる。
忠勝の急襲、そして現実には有り得ない緑色の炎の海に加え、貫いても死に至らない悠生の矢を恐れた董卓が、戦線を放棄し、呆気なく逃げ出したというのだ。
これには周泰も驚き、後に合流した忠勝も、がらんとした戦場に拍子抜けしたようだ。
「むむ…半蔵…?これは如何なる事か…」
「…勝利…」
董卓を貫くはずだった蜻蛉切が、月夜に美しく煌めいた。
END
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