未来への道標
(僕は…これ以上、僕の中の趙雲どのを汚したくない。こんな気持ち、無くなっちゃえば良いのに…)
悠生には、趙雲の想いが恐ろしかった。
前触れもなくあんなキスをしたり、優しく抱きしめたりする…、それは、趙雲ではない別の存在だ。
趙雲は、そんなことをしない。
悠生がずっと憧れていた、長坂の英雄は、何もかもが完璧な男なのだから。
「趙雲とて、鎧を脱げばただの人間だと、私は思うが」
「……、」
「悠生が慕っているのは、書物に記された"趙子龍"か?そなたが恋情を抱いたその男は、死地から赤子を救った英雄ではない。ただの男だろう」
趙雲と言う名を持った、男だと。
はっきりと言い切る、阿斗の言葉は深く胸に響き、悠生は瞳を揺らすばかりだった。
三国志の趙雲、無双の趙雲、どちらも、悠生の憧れであった。
1800年の時の流れは遠く、彼は永遠の英雄であるはずだった。
だが、この世界に生きる趙雲は?
過去を生きた手の届かない人物ではない、同じ世界に生きる、人間なのだ。
「私は…悠生には幸せになってもらいたい」
「僕も同じ気持ちだよ。阿斗の幸せが、僕の一番の幸せだから」
「ならば、子龍から逃げるでないぞ。子龍の想いから、目を背けてはならぬ」
阿斗にそう言われてしまうと、どんなに緊張することでも、頑張らなくてはと思うのだから不思議だ。
悠生は苦笑し、うん、と答えた。
想いを抱くことは罪ではない。
想いを口にし、相手に伝えることも。
それ以上を、求めたりしなければ良いのだ。
「善は急げと言う。さあ、子龍に会いに行くのだ」
「えっ?そ、それはいくら何でも早いんじゃない?きっと皆、助けに来てくれるだろうし…今すぐって言うのは、心の準備が…」
「助けを待つのでは無い。城を脱出し、子龍の元へ向かえと言っている」
その言葉に悠生は驚き、訝しげに阿斗を見た。
聡明ぶりを見せつけていたくせに、いきなりとんでもない発言をするなんて、落差が激しいではないか。
この堅牢な古志城から脱出出来るはずがないし、悠生はこれまで、妲己に阿斗を人質として掲げられ、渋々従ってきたのだ。
「手筈は整っている。前々から、前田殿と密かに計画を立てていたのだ。悠生を戦と称して外へ連れだし、そのまま逃がしてみせる」
「慶次どのが…?でも、駄目だよ!僕が居なくなったら、妲己が阿斗に何をするか…!それに、僕だけ逃げるなんて嫌だよ…阿斗も一緒じゃなきゃ嫌だ。せっかく会えたのに…」
「私のことなら気にしなくて良い。私自身、上手く逃れられる術を考えてある。それとも、私が信用出来ぬか?」
悠生はぶんぶんと首を横に振るが、それで心配が消える訳ではない。
慶次と阿斗は、悠生を外へ逃がす計画を練っていた。
趙雲に想いを伝えるためと言うが、実際は、奏者である落涙に詩を渡す役目を果たさせるためであろう。
阿斗が何処まで事情を知っているかは分からないが、慶次ならそう考えたはずだ。
…友である哀れな遠呂智に、安らかな眠りを与える、そのために必要なことであると。
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