人生の行路



「……、」


いくつも与えられた小綺麗な部屋を見渡して回った阿斗だが、何処にも劉備の姿が見えない。
だが、阿斗には心当たりがある。
劉備は決まって、同じ場所に座るのだ。

与えられた住まいには、縁側がある。
座ったまま、低い位置で庭を見渡せる縁側を気に入った劉備は、一日をそこで過ごしていることが多かった。
案の定、阿斗は縁側で劉備の後ろ姿を見つけた。
ぴんと真っ直ぐ伸ばされた背筋が、劉備の心を表しているかのように思えて、阿斗の胸の奥がじくりと痛んだ。

父上…、と呼び掛けようとしたが、自分から話しかけるには勇気が足りず、それに今は気分が乗らない。
しかし劉備の方が阿斗の気配に気が付き、振り返り、爽やかな笑みを浮かべた。
義弟達を失った悲しみから憎しみを増長させ、鬼の如き形相をし、私怨で戦を起こそうとした愚かな父は、何処へ行ってしまったのか。


「おお、阿斗か。前田殿は帰られたのだな。お前も共に草鞋を編まぬか?いつも見ているだけではないか」

「いえ、私は不器用ゆえ…」

「何を言う。この父に出来ることが、お前に出来ぬはずが無かろう!」


劉備は嬉々として阿斗を草履造りに誘う。
床中に散らばる藁は、大事な人質である劉備が所望したため、大量に用意されたものだった。
捕らわれてから今日までほぼ毎日、劉備はひたすら草履造りに勤しんでいる。
出来上がった草履は山積みにされているというのに、劉備はまだまだ造り続けるつもりらしい。

阿斗は劉備の手元をじっと眺めていた。
その手は一国を治める主とは思えぬほどに荒れ、傷付いている。
自ら武器を持ち、敵将と向かい合ってきた事実を、父の手が語る。

ぼうっと眺めているうちに、ただの細い藁だったものから立派な草履が形作られていく。
老いた母と田舎で静かに暮らしていたという劉備は、こうして草履を造っては売り歩き、生計を立てていたため、この程度、お手の物なのだろう。


「阿斗よ。お前はまだ父を恨んでいるか?」

「……、意味が、分かりかねますが」

「いや、分かっていよう?お前はうつけなどと言われているようだが、私には信じられん」


劉備は真面目な顔をして、問いかけてくるがすぐには答えられず、阿斗は顔を上げることが出来なかったため、手元にある草履を見つめるふりをして俯いた。
かつて、阿斗の中に、恨み辛みは数え切れないほど存在していた。
だが、阿斗が実際に記憶している劉備への憎しみとは、姉のように慕っていた尚香を悲しませたことだけなのだ。
その他は、まだ物心も付かぬ内の出来事である。
顔も知らないが、母を見捨てたこと、そして趙雲に救わせた赤子を無碍に扱った父のその振る舞い。
ふざけた話だと、阿斗が劉備を恨むのは自然な流れだったはずなのだ。

果たしてこの父は、皆が言うような仁徳の人と呼ばれるのに相応しい存在なのだろうか。
矛盾も甚だしく、現に、世界が遠呂智の降臨により混沌に陥らなければ、民を苦しめるだけの意味無き戦を始めるところだったのだ。
平和な世など、いつまでも訪れようはずがない。
民を苦しみから救うことなど、誰にも出来やしない。


 

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