曇り空に散る



それからの悠生は、ハラハラしながら拠点兵達の戦う姿を見守っていた。
敵兵に押されていたかと思えば押し返し、その繰り返しである。

悠生は矢を一本取り出し、その切っ先をまじまじと見詰めた。
触れただけでも血が出てしまいそうなほど鋭い。
手にした弓を、敵に向けることは可能である。
これなら、人間を一瞬で絶命させることも可能だろうが、敵軍には蜀の兵も少なくはない。
劉備の、後に劉禅の家臣となるはずの兵達を、無闇に傷つけることは出来なかった。


「早く、早く…終われば良いのに…もう…無駄なんだから…!」

「そうね、お望み通り決着をつけてあげるわ!」


やり切れない想いを持て余し、悠生が思わず声を荒げた瞬間、どこからともなく、ねっとりと絡み付くような女の声が聞こえた。
瞬間、ぞくりと背筋が震える。
恐る恐る宙を見上げれば、悠生の小さな独り言を拾って丁寧に答えた女…、妲己の姿をとらえた。
青白い肌に、真っ赤な唇…、露出の激しい挑発的な衣装が、古く殷の時代に悪女と呼ばれた彼女にはよく似合っている。


「あなたが悠久…いえ、黄悠さん?それとも悠生さんと呼んだ方が良いかしら?」

「っ……、」

「もう、そんなに怯えないでよ!まるで私が悪者みたいじゃない!…ねえ、知ってた?私達、はじめましてじゃないのよ。前に一度、仙人のおじいさんの姿を借りてね。だけど途中でバレちゃったみたい。あなたの居場所を奪う計画だったのに、邪魔されてばっかりよ」


やはり、妲己は左慈に姿を変えていた。
悠生を成都城から追い出すことが狙いならば、城内で起きた人斬り事件も恐らく、妲己が悠生を犯人に仕立て上げるため、暗躍したのだろう。
この女のせいで、阿斗と引き離される羽目になったのだ。
憎いとまで思わないのは、ゲームで彼女に触れたことがあるからだろうか。
だが、今此処に存在する妲己は、悠生の大切な人達を平気で傷付けることが出来る、恐ろしい女だ。


「なに、怖い顔しちゃって!そんなに私が嫌い?良いわよ、もっと恨んでみせて!」

「……、」

「まだ無視するって言うの?構わないけど。どうせあなたは遠呂智様のものになるんだから!」


遠呂智のものになる、そんな話があって良いはずがない。
妲己の合図とともに地中が割れ、そこから細い蛇がうじゃうじゃと這い出てくる。
あまりに衝撃的すぎて、逃げる間もなく、グロテスクな蛇は悠生の手足に絡み付き、自由を奪うのだ。
じわじわと締め付けられる生々しい感触と気持ち悪さは尋常ではなく、急激に意識が混濁してきた。
あまり考えたくないが、毒が滲み出ているのかもしれない。


「…黄悠殿…!」

「周泰どの…っ…来ちゃ駄目…!」


拠点の外で、奮戦していた周泰が悠生の危機に気付き、いち早く駆け付けてくれる。
手足に蛇が絡み付く異様な光景を目の当たりにしても周泰は動揺することもなく、悠生に危害を加えている妲己を見付けると、一目散に突撃していった。


「へえ?私とやるつもり?」

「く…っ!」


まるで赤子を相手にするかのように、妲己は手のひらを返しただけで、真上から周泰に攻撃を浴びせた。
全て刀で弾き返すも、周泰は蛇に足を取られ、地に膝をついてしまう。


 

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