曇り空に散る



「甘寧殿!兵は整いましたぞ!準備は宜しいか」

「おう、張遼さんか。今行くぜ!」


悠生の泣き出しそうな瞳が、凛々しい顔の武将をはっきりと捉えた。
背筋をぴんと伸ばして颯爽と登場したのは、この世界で初めて出会う、魏の人間だった。
かつて鬼神・呂布の傍らで武を奮っていた猛将、張遼は、曹操の命で孫呉の助けに参上したのである。

悠生はうっすらと涙の溜まった瞳を瞬かせた。
素直に喜びを表現することは出来なかったが、本当はとても興奮していた。
ゲームで見慣れていたとは言え、また一人、憧れの武将に出会えたのだから。


「甘寧殿、そちらの方は?」

「ああ、こいつは……」


訝しげに悠生を見る張遼は、戦うことも出来ずに立ち尽くしている明らかに場違いな存在に、不信感を覚えているかのようだ。
甘寧も言葉を濁し、適当に言い繕うのかと思えば…、次にその口から発せられた台詞に、張遼は仰天した。


「こいつは俺の情人だ」

「なんと!?いくら勇猛たる甘寧殿と言えども、戦場で情を交えようなどとあまりにも不埒では…」


じょうじん…とその通りに反芻する。
普段あまり使わない単語を何とか漢字に変換するが、悠生が意味を理解したときには既に遅く、言葉を真に受けてしまった張遼の誤解を訂正出来そうになかった。
平気で嘘を付く甘寧に怒り、かっと顔を赤くしてしまうが、それさえも誤解を招く要因にしかならない。


「かっ、甘寧どの…!変なこと、言わないでください!」

「あ?何か文句でもあるってのか?接吻までした仲だろうが。お熱いやつをよ」

「っ!!」


にやにやと、いやらしい笑みを浮かべながらからかわれてしまい、悠生の羞恥は頂点に達する。
全部、貴方が悪いんじゃないか…!
怒りに任せ、悠生はいつぞやのように甘寧に殴り掛かろうとするが、彼も二度は同じ失敗を繰り返すつもりはないようで、片手で簡単に止められてしまう。


「あんたって意外に喧嘩っ早いんだな…ま、そういうところも嫌いじゃないぜ?」

「ふ、ふざけないでください!甘寧どのの馬鹿!」


相手が偉い将軍様であることも、重傷を負っていることも忘れ、悠生は子供のような暴言を吐き、思い切り甘寧の脛を蹴る。
流石の甘寧も動きが鈍っていたのか、悠生の遠慮の無い攻撃をまともに受け、情けない声をあげた。
甘寧ほどの男が、このような見え見えの攻撃を避けられないとは想定しておらず、悠生は急に不安を覚えて眩暈がしそうになる。


「こ、この…!調子に乗ってんじゃねえ!」

「でもっ…甘寧どのはこれぐらいじゃ死なないでしょう!?甘寧どのは…凄く強いから…」


言い訳をする声が、震えてしまった。
甘寧を怒らせてしまったから、そうではなく、甘寧がこの怪我のせいで更なる危険に晒され、もう二度と会えないかもしれないと思った途端、恐怖を感じた。
殴りたいほど恥ずかしい想いをさせられたのに…、結局のところ、悠生は甘寧のことを好いているのだ。


「ちゃんと…生きて、帰ってきてください」

「……ったりめえだ。クソガキが」


甘寧は呆れたように、だが心なしか、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
悠生はまた、気恥ずかしくなって視線を逸らすが、甘寧はさっさと歩いて行ってしまう。
張遼は事態が呑み込めないようで、困ったように成り行きを見守っていたが、黙って甘寧の後に続いていった。

…もう一度、会って話をすることが出来るだろうか?
多くの未来を、結末を知っていても、今一番知りたいことが分からなくて…、悠生は悔しい想いをした。


 

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