盲目の少年
「…私は、逃げとうありませぬ」
「阿斗、私とて皆を残し逃げるのは辛い。だが、蜀の未来のためには、仕方の無いことなのだ」
「では、共に戦えば宜しいではないですか!何故、あれほどお大事にされていた民を見捨てて逃げられましょう」
今まで口にしたことも無い本心をはっきりと告げれば、劉備は唖然とし、次の瞬間には、悲しそうに目を伏せる。
貴方のやり方は間違っていると、実子に指摘されたのだから。
情けなくも思う。
力があるのに何故戦わない?
自らの手を汚すのは御免だとでも言うのだろうか?
諸葛亮は羽扇を口元に当て、様子を窺っている。
酷く嫌な目をしている。
そうやって素知らぬ顔で、人の考えを計ろうとするのだ。
阿斗は苛立ちを隠すことも出来ず、困惑した様子の父を睨みつけた。
「父上の言葉は偽りだらけです。私は此処に残り城を守るゆえ…、父上はどうぞお逃げになられてください」
「嘘偽り、確かに私は大義を失った。だが、それでも私は蜀の、天下泰平を成さねばならぬ!私を慕う者のためにも、生きることが先決なのだ」
「…勝手で、矛盾だらけで、迷惑だとしか言えません。父上の理想に私を付き合わせないでください!私も尚香も、貴方の駒ではないのだから!」
「っ、阿斗…!」
ついに、思いの丈をぶつけ、全てを言い切った時。
乾いた音と共に、阿斗は頬に感じたことの無い痛みを覚え、反動で床に体を叩きつけられ、受け身を取る間もなく全身を打ち付けた。
あの穏和な父に限って、まさかとは思ったが…、本気で殴られてしまったようだ。
口内の粘膜が裂け、血の味がいっぱいに広がっていく。
衝撃で朦朧としながらも宙を見上げれば、肩で息をし、顔を真っ赤にした父が唇をわななかせていた。
「諸葛亮!趙雲を呼ぶのだ!何としても阿斗は連れゆく」
「承知致しました。劉備殿、脱出の時は、趙雲殿が参られ次第…」
何事も無かったかのように、諸葛亮は怒る劉備を宥め、同時に兵に趙雲への伝言を持たせる。
阿斗は痛む頬を気にも止めず、女官の気遣いも無視して、抵抗の意思を示すために、劉備に背を向けた。
実の親子と言え、形だけのようなもの。
関羽・関平親子のように、武を通じて語り合うことも、一度だって無かった。
(ああ…だから私は、)
関平が嫌いだったのだ。
妬ましくて、遠い存在で…羨ましくて。
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