盲目の少年



その夜、激しく大地が揺れた。

これほど大きな地震は生まれてこの方経験したことが無かったが、特別騒ぎ立てるほどのものでもない。
だが、阿斗は夜が深くなれども、一向に眠りにつくことが出来なかった。
頭まですっぽりと掛布に潜り込み、自室には誰も居ないと言うのに、息を殺す。
嫌でも、意識ある者の音が耳に届くのだ。
入り口を守る兵の気配、雨戸を打つ冷たい風、自身の心の臓の静かな律動さえも。
地震の影響だろうか…、今夜はいつもより、騒々しい気がした。


「…っ…」


いきなり背筋に寒気を感じ、阿斗は身を固くして、丸くなった。
先程より小規模ではあるが…余震だった。
がたがたと寝台の揺れを感じながらも、起き上がることはせず、波が通り過ぎるのをひたすら待つ。

…蜀はもう、終わりだと。
まるで成都の地が、不義者となった劉家の血を怒り、追い出そうとしているかのようだ。


「…なんだ」


微かではあれ、未だに揺れは収まらない。
扉の開く音に、阿斗は体を起こした。
こんな真夜中に…眠りを妨げるものは屋根裏の鼠だけにしてほしいものだと舌を打つ。

小さく揺らめく灯り…、深々と頭を下げたのは女官であった。
だが、阿斗は訝しげな視線を送った。
女官は見慣れた制服ではなく、女性用の甲冑を身に纏っているのだ。


「失礼致します、阿斗様。お休み中のところ、申し訳ありません」

「良い。何用だ」

「至急、劉備様の元へお連れするよう、丞相様からのお達しがありました」


…良からぬことが起きていた。
度重なる地震に加え、戦には無関係なはずの女官までも、己の身を守らなくてはならない状況下にある。
ならば、何故、趙雲が迎えに来ない。
その理由は単純で、趙雲のような有力な将軍を阿斗だけの護衛にする余裕が無いのだ。
つまり、事は重大である。
五虎将軍の一人を欠いては、民は勿論、兵や劉備自身に牙が向くということだ。


(蜀は天に見捨てられたも同然よ…)


阿斗は再び舌を打ち、着替えもそこそこに、諸葛亮らが待つ玉座の間へ足を進めた。
奇妙な異変は既に見て取れた。
傷を負った兵卒が奥の部屋に運ばれてゆく。
忙しなく時間が動いている。
夜の冷たい空気に混じり、濃い血の匂いが漂い、阿斗は顔をしかめるばかりであった。

戦は、嫌いだ。
仕方の無いことであれども、人の死の上に成り立つ天下など、欲しくはない。


「おお、阿斗が参ったか!」

「父上。お久しゅうございます」


劉備、そして諸葛亮が待っていた。
阿斗はわざとらしく丁寧な挨拶をする。
同じ城内に暮らしていても、父との会話は無いに等しい。
こんなときばかり、真っ先に呼び出すなんて都合が良い。


「阿斗様、詳しく説明をしている時間が無いため簡潔にお話し致します。先刻、物見より、この世の者とは思えない異形の集団が成都城目掛け猛進しているとの報が入りました」

「異形だと?」

「ええ。すぐに兵を出し、撃退させようとしているところですが…、敵の勢いは激しく、このままでは城を落とされかねません。ですので、劉備殿と阿斗様には極秘で城を脱していただきたく思います」


城が落とされる、
名軍師とうたわれた諸葛亮が口にするには、随分と弱気な発言だった。
劉備の義兄弟二人は存在せずとも、趙雲や馬超、大勢の将が残って居るのに、それでも此方が不利だと言うのか?

異形の者の正体より、阿斗の心は、最初から負けを認めた諸葛亮や、さっさと逃亡しようとしている父に対する怒りに支配されていた。
これから、私怨で戦を起こそうとしていたではないか。
妻子や、民さえ将兵以下と見做していた劉備が。
蜀に生きる民を巻き込み、国を滅ぼさんとした劉備が、今度は全てを捨て、逃亡を決めたのだから。


 

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