迷える者の囁き



太公望は星のちらつく闇夜を仰いでいた。
仙界の美しさには劣るが、建業城の夜の静けさは不快では無かった。
近く失われるであろう優しげな静寂。
目を閉じれば、悠久の名を持つ少年の弱々しい笑みが脳裏に蘇る。


「…坊や。いつ此処を離れるのだ」


凛とした女の声が太公望の耳を突く。
視線だけを其方に向ければ、この世の者とは思えぬ美貌を携えた仙女が、不適な笑みを浮かべ太公望を見下ろしていた。
坊やなどと呼ばれるのは少々納得いかないが、いつしか違和感を感じさせないほどに慣れてしまった。


「女禍か…、」

「意外そうな顔をする。私が人の子に近付くことを散々貶していた坊や。悠久は相当お気に召したようじゃないか」

「……、あの人の子は非常に興味深いのでな。貴公こそ何をしている。既に、世に平穏は無いと分かっていながら…」


長い銀髪を冷たい夜風に揺らす女禍は、太公望の問いには耳を貸さず、小さく溜め息を漏らした。
五行山に封じられていた魔王・遠呂智が脱獄した。
封印の術が弱まっていることを知り、手引きをした首謀者は妖狐・妲己である。数十年も人界に入り浸っていた女禍が騒ぎを聞きつけ駆け付けた時には、太公望と、同じく仙人である伏犠が脱獄者を再び捕縛しようと試みていたが、逃げられた後だった。

その後の太公望と言えば、左慈と共に、魔王の力となる勢力を削ぐために密かに行動していた。
最大の脅威となるであろう、異世界から召還された姉弟は傷付けずに懐柔、保護するつもりでいたが、事実は魔王を封じる稀有な力を秘めていたという…、
これには太公望も驚き、以前、こそこそと妲己が建業城に現れた日から、こうして姉弟の暮らす城を見張っているのだった。


誰が、何のために姉弟を巻き込んだものかと太公望は夜な夜な考え込んでいたのだが、一つ、見落としていたようだ。
此処は、彼らにとっての異世界ではない。


(悠久にとっての…と言った方が正しいかもしれないが…)


未だ憶測の域を抜け出せないが、恐らく姉弟は神々や仙人よりも稀有な存在である。
何があっても、遠呂智の目に触れさせてはならない。
だが、今の妲己は何を仕出かすかも分からない。
仙人達が想像もしないような卑劣な方法で世を乱し、人々を絶望に陥れるのだろう。


「…早くて明日、長く見積もって三日というところだろう。時間など無いに等しい。貴公の行いは、落涙の心を弄んでいるのではないか?」

「おや、私より人を知らぬ坊やが人の心について指摘するとは。私は…私のために動いている。未来を見据えて…な」

「未来…など。人の子の未来は人の子が作るものであろう」


女禍は僅かに関心を示したようで、艶っぽい唇がつり上がっている。
今までの太公望なら決して口にしないような内容を、こうも真剣に語るものだから。

仙人の力だけでは、どうにもならない。
魔王はそれほどに強大な力を持っているのだ。
だが、太公望は人間の手に委ねることに決めた。
自分は手助けをしていれば良い。
それで、良い。
世界を知る悠久が、悠生が、人間達の勝利を信じて疑わないように。


「私はこの先、可能な限り傍観に徹するつもりだ。それこそが悠久の望みゆえ…。貴公はどうする?」

「…さて。坊やが何もしないのならば私も自由を選ぶとしよう。このまま、私に見合うおなごを探し続けようか」

「貴公の美しさにかなう女子など…、いや、何でもない」


美しい星空は、深い闇へと消え行く。
盤古の創造せし悠久なる大地へ、蒼空へ、旋律を奏でよ。
そして聖母のように唄いたまえ。
秘められた言の葉を知る者を導き、魔王を寝かしつける揺藍歌を完成させるのだ。



END

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