虚ろな苦悩



「あなたが蜀を愛することを、止めろと言うには残酷だわ。責められるべきは、強制する大人なのね」

「……、」

「それでも…、お願いよ。皆で孫呉に暮らしましょう?私に、あなたを護らせて!」


捕虜の行き着く先は、むごい最期であろう。
いつまでもこのままではいられない。
女であれ子供であれ、可哀想だと見逃せば他に示しがつかないのだ。
涙が滲んでいた尚香の瞳は真っ直ぐと悠生を見つめ、凛々しい視線が彼女の決意を感じさせる。

生きていれば…必ず希望を見出すことが出来る。
この世に存在すること、それが絶対条件なのだ。


「尚香さま、駄目です…そんなにしてもらっても、応えられません…だって僕は…!」

「言わないで。ごめんなさい…あなたたちを見ていると、どうしようもなく、切なくなるのよ…」


あれほど真っ直ぐな目をしていたのに、尚香はいきなり、両手で目元を押さえた。
すると、目の端から大粒の涙が零れ落ちる。
彼女の涙を目にした悠生の心臓は、どきりと跳ね上がった。


(尚香さまは自分が凄く苦しんだから…僕や咲良ちゃんを苦しめたくないんだよね…それは、よく分かってるんだけど…)


演義に描かれた孫夫人…孫尚香は、幸せとは程遠い最期を迎えた。
夷陵の戦い後、劉備の死の誤報を聞き長江に身を投げる…そんな結末は、哀れとしか言いようがない。
互いに愛しあっていたのに、断たれてしまった悲しき二人の絆。
ならば尚香は今、不幸なのだろうか。

遠呂智が降臨する日、それは姉との、孫呉に暮らす尚香達との別れの日だ。
ならば、想いを伝えるなら、今しかない。
もう彼女は他人ではないのだから。
劉備や阿斗と引き離された孫夫人の未来に、少しでも光があるように願う。


「僕は…自分勝手です。だからいつか、あっさり死んでしまうかもしれないけど…、お姉ちゃんが僕を追いかけたら、悲しいです。大好きでも、そんなのは嬉しくないです」

「黄悠……」

「でも…、僕がどうしても会いに行けなかった理由を、お姉ちゃんなら分かってくれると思います」


世界に絶望し、亡くなった人の後を追うなんて、そんな悲しいこと…この尚香には、考えてほしくもなかった。
確かに死んでしまえば楽かもしれないが、誰かしら、それを望まない人が居る。
愛されていない人間なんて居ないのだと、悠生に教えたのはこの世界だった。
人は皆、いつか必ず死ぬのだということを受け止め、尚香には未来を生き抜いてほしいのだ。


 

[ 192/417 ]

[] []
[]
[栞を挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -