生きる勇気
切ない夢を見る。
今は夢でしか、阿斗には出会えないから。
だが最近は、夢で出会う阿斗の後ろに、毎回のように見慣れた男の笑みがある。
手の届かない現実が幻となったばかりなのに、また、彼は遠い存在となってしまった。
(其処にはいつも、趙雲どのが居るのに…な)
優しい目をした趙雲が此方を見ているのだが、不思議なことに、一歩も動かないのだ。
阿斗は悠生に抱き付き、他愛のない言葉をかけてからかったりするのに、夢の趙雲はリアルな人形のようで。
嘘のような笑みを貼り付け、黙りこくったまま、名前さえ呼んでくれない。
それが何故か、苦しいほどに辛かった。
「……綺麗すぎるんだ、あんたの心は。分かってんだろ?もう蜀には帰れないってよ」
「僕は絶対に、蜀に帰ります。だからお姉ちゃんには会えないんです」
「黄悠…」
嫌みでは無く、現実を理解させようとはっきりと断言する甘寧を否定し、悠生は首を横に振った。
遠呂智の光臨を利用するという最終手段。
誰にも言わないが、勝算は限りなく高い。
一度は抵抗するも、孫呉は遠呂智の属国となるのだから、隙を見てマサムネに乗って…建業城から脱出しようと考えていた。
しかし、その前に咲良に会ってしまえば、決意が揺らいでしまうかもしれない。
でも、だからと言い、弟の身を案じ続けた姉を無視して早々にこの地を去るのは申し訳ないし、悲しすぎるから。
「文を書いているんです。僕はお姉ちゃんに会いに行くことが出来ないから、陸遜さまと相談して、まずは文を渡しましょうって」
悠生は視線で卓子を示し、書きかけの手紙の存在を知らせた。
そこで、思い付いた。
博識な陸遜に盗み見られることを案じ平仮名を多用していたが、甘寧ならば。
万が一、文章を読まれたとしても、字面から内容を察されたりはしないはず。
「あの、甘寧どの。お願いがあるんですけど…お姉ちゃんにこの文を渡してくれませんか?陸遜さまは、なかなかお見舞いに来てくれないから…」
「おいおい、今更俺が落涙に会えるとでも…、いや、口実にはなるな…」
「え?」
「よっしゃ、引き受けてやるよ!この鈴の甘寧様に任せとけ!」
そう大々的に宣言し、甘寧は未だ書きかけの手紙を手にした。
まだ未完成であることを知らず、このまま持ち去ってしまいそうな勢いの甘寧に焦った悠生は、慌てて制止しようと手を伸ばしたが、
「っ…!く、苦し…い…!」
「おい、大丈夫か?」
胸に、針を刺すような鋭い痛みを覚えた。
こぽこぽと身体の奥底が沸騰したかと思うほどに熱く、煮えたぎっている。
同時に激しく咳き込んだ悠生だが、甘寧が背を撫でてくれたため、すぐに落ち着きを取り戻した。
苦しさのあまり、涙を流してしまうが、甘寧は申し訳なさそうな表情で悠生の顔を覗き込んだ。
「ちっ、忘れてた…あんたが目覚めたらすぐ典医を呼ぶよう姫に言われていたんだが…、すまねえ、ちっと我慢してな!」
「かっ、甘寧どの…っ」
「とりあえず薬は飲んでおけよ!痩せ我慢して死んだら、ダチに会うどころじゃねえだろうが!」
それはその通りであるが、悠生は甘寧の剣幕に圧倒され、縮こまってしまう。
手紙、途中までしか書いていないのに…
それを伝えることも叶わず、甘寧は腰に付けた鈴をけたたましく鳴らしながら、典医を呼びに部屋を飛び出した。
END
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