小さな浮気心



いっそ、うつけになってしまおう。
まだ幼い阿斗がそう考え始めたのは、押し潰されそうなほどに襲い掛かる劣等感に耐えきれなかったからである。

この世に生を受け、まず与えられたのは大徳の嫡子という身分であった。
いずれ父の跡を継ぎ、国の長となれば、民や将兵を守らねばならない立場となる。
正義感が強く、分け隔てなく人を愛せる…、好きで君主となった劉備と自分は、根本的に違うのだ。
阿斗は己を非凡な人間だと思っているが、父の志を引き継ぐのが当然と考えられるのは、嫌だった。
内に流れる血が気高いだけであり、阿斗という存在には目も向けられず…これでは、何の価値も無いというのに。


(期待されれば尚更のこと。私は私で居られなくなる)


びゅん、と双剣を振り下ろす。
軽やかに地を蹴り、優雅に舞ってみせる。
実戦用の武器とは違い、今阿斗が手にしているものは剣舞のために華やかな装飾があしらわれている。

一人きり、修練場に阿斗は居た。
護衛も、趙雲も連れず、たった一人で。
誰も、阿斗が剣舞をするなどとは思っていないから。
阿斗は教えを受けずにも、見様見真似で密かに練習を重ね、美しい舞いを見事に会得した。
もし今、阿斗が舞う姿を目にした者が居たならば、皆が口を揃え賞賛するだろう。


(そのような世辞は嬉しくもない。馬鹿馬鹿しい…)


柔らかな髪をなびかせ、ふわりと飛ぶ。
その時、視界の端に小柄な人影を捉え、阿斗は大きな瞳を見開かせた。


「星…、うわっ!!」

「阿斗様、」


いつから其処に居た?
存在を主張しない観客、愛しい人、星彩に気を取られた阿斗は、着地を失敗してしまう。
足首があらぬ方向に曲がり、ぐきっと嫌な音を響かせた。

阿斗は痛みに情けない声を上げる。
慕う女の前でこのような無様な姿を晒すことになるとは。
慌てて星彩が駆け寄り、白い手が伸びて来たところで、痛みよりも羞恥に顔が熱くなった。


「せ、星彩…」

「阿斗様、お怪我を…!申し訳ありません、私が…」

「良い。だが…そなたに格好悪い様を見せるなど…、一生の不覚だ」


彼女の手が己の足首を撫でる様子を眺めながら、阿斗は深く息を吐いた。
ただ、悔しい。
あの男…阿斗と同じ想いを抱いていた軍神の義子ならば、こんな間抜けな姿を星彩に見せることもなかったはずだ。

遥か遠く、及ばない。
肩を並べることも叶わない。
勝負を挑もうにも、奴は何処にも居ないから。
星彩の心は、今も囚われたままである。


 

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