たゆまぬ流れ
「尚香さま…、僕のお姉ちゃんは、そんなに泣き虫ですか?」
「黄悠…あなた…」
「此処には…慰めてくれる人も、いませんか…?」
一か八か、確信は無かったけれど、カマをかけるつもりで尚香に問うと、彼女はその通りだと肯定するかのように、表情を強ばらせるのだ。
咲良が此処に、呉の国に居るのだと、漸く確信を持った。
そして咲良はまだ、弟が同じ地に居ることを知らされていない。
「安心しろよ、落涙はよく泣くが、それ以上に笑っているんだ。万が一あいつを悲しませる奴が居たら、俺がぶっ飛ばしてやるよ」
「甘寧、どの…、本当に…?」
余計な弁解もせず、否定もせずに。
後ろで頭を抱える凌統なんかお構い無く、甘寧は自信満々に宣言するのだ。
姉は孫呉の皆に愛される存在なんだと、悠生に教えようとしている。
ずっと、責任を感じていた。
自分が咲良に無双を教えなければ、大好きな姉をも巻き込むことはなかったのに。
だが、咲良が歩んできた道は、厳しくも幸せに繋がっている道のようだ。
「泣き虫だから、落涙じゃないんですね。それなら大丈夫です…僕、今の話は聞かなかったことにしますから」
「黄悠、どうして?私はあなたに隠し事をしていたわ。でも…、離れ離れとなったお姉さんに会いたくはないの?」
「僕が捕虜になっていることを、知られたくはないです。それに僕は、お姉ちゃんを…」
…裏切ったから。
咲良に会いたくないはずが無いだろう。
だが、現実はそれを許さない。
生まれてからずっと一緒に育ち、自分を誰よりも愛してくれた姉よりも、出会ったばかりの阿斗を選んでしまったから。
二度と蜀に戻ることが出来なくても、いつまでも、阿斗の友達でありたいと願う。
咲良だって、同じはずだ。
きっと、孫呉で多くの友を得て、弟の居ない寂しさを忘れるほどに、自然に生きられるようになっているはずなのだ。
(僕のお姉ちゃんは…落涙なんて名前じゃないし…)
自分にそう、違うんだと言い聞かせて。
尚香はまた悲しげに眉をひそめるが、見ないふりをした。
「ったくよ、子供が痩せ我慢するんじゃねえ。だが…、あんたは子供以前に、男なんだな。何か、譲れねぇもんがあるんだろ?」
「譲れない…もの…?僕は…」
「俺達はこれ以上動かねえ。だが、あんたが望むなら助力する。姫さんよ、それで良いんだろ?」
「…そうね。黄悠、いつまでも待っていてあげるから、もう一度よく考えてみて。あなたの心を、あなただけのものにしないで」
完全なる部外者となった凌統に視線を送れば、彼はうんざりとし、呆れたように苦笑うばかりであった。
意地を張らず孫呉に降り、捕虜から抜け出せば、咲良…落涙とも再会出来るのだと。
とてつもない、甘美な誘惑だった。
(駄目だよ…。僕の心は、阿斗のものだ)
心が揺れ動き、一瞬でも傾きそうになる。
雑念を振り払うように、悠生はギリッと唇を噛み締めた。
赤い血がにじみ、鉄の味が広がる。
孫呉には、無い。
自分の悪い癖を指摘してくれる憧れの彼が、此処には居ない。
END
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