弔いの幻想



「若き龍よ、大徳が道を踏み外したようだな」

「左慈殿!」


世に名高き仙人は、音も無く趙雲の前に姿を現した。
左慈はぴくりとも表情を変えず、何かを探るような目で趙雲を見据えている。


「悠久の所在を掴んだ。そなたに伝えるべく参じたのだ」

「本当ですか!?悠生殿は何処に…」

「それが…あろうことか、蜀軍が敗走した戦場に、紛れ込んでしまったようだ。悠久の身柄は現在、呉軍の手中にある」

「悠生殿が…孫呉に…!?」


喜びに震えた心は、一瞬にして暗闇に突き落とされた。
誰が何のために、悠生を連れ出したかは分からない。
だが、戦う力もない少年を戦場に置き去りにし、呉軍に捕縛させることにどんな意味があると言うのだろうか。


「若き龍よ、そなたは如何する?大徳と共に、孫呉へ義無き戦を仕掛け、敵を討つのか」

「私…は…」


私怨で戦を起こすなどと疑問を抱いていたが、趙雲にも、呉と戦う理由が出来てしまった。
大切な人を取り戻すためならば…。
だが、僅かな理性が趙雲を押しとどめている。

趙雲が悠生のことを省みず、次の戦に従軍すれば、信頼を寄せてくれた阿斗に、大人の汚い姿をこれでもかと見せつけることになる。
蜀の将は口だけの愚かな存在と思い込んでしまえば、阿斗はこれ以上の裏切りを恐れぬために心を閉ざし、全てを投げ出してしまうだろう。
このまま趙雲が、悠生を阿斗の元に連れ戻すことが出来なかったら…将来、阿斗は暗君と呼ばれることになるかもしれない。


「それとも…悩める御子を救うことが、そなたの望みか?」

「…分からないのです。悠生殿を取り戻すには、次回の戦に便乗するほか無いかもしれません。ですが、私戦など…間違い無く不義でしょう」

「酷かもしれぬが、大徳を選ぶならば、悠久は諦めるべきであろう」


両目を閉じた左慈は、顎髭を撫でながら重々しく言葉を続けた。
もっと早く悠久を保護するべきであった、と。
悠生は世界の運命を左右する力を持っており、それは仙人達が共有していた情報だと言う。
だが、そのことに目を付けた何者かが、世に災厄を齎すため、悠生を遠い地に放り出したのではないか…と、左慈は持論を述べた。


「大徳自らに戦を起こさせず、悠久を救うには…世界を破滅させるしか術が無いと、言い切れよう」

「世界、などと…!それこそ、選べるはずがないでしょう!」

「すまぬが、小生には的確な助言が出来ぬ。悠久については見守り続けよう。だが今日限り、そなたに助力はせぬ」


趙雲は愕然とする。
頼りにしていた仙人でさえ、最早どうすることも出来なかった
劉備を信ずる蜀の民全てと、ひとりの少年の命を天秤にかけたら、誰もが同じ傾きを目にすることだろう。


「…おお、忘れるところであった」


左慈は趙雲も気付かぬうちに、目の前にまで迫っていた。
その瞳は吸い込まれそうなほどに澄んでおり、意識を絡め取られるのではと錯覚してしまうぐらいに、真っ直ぐな眼差しであった。


「悠久の世界を見せてしんぜよう。しかし、これは紛い物…だが必ず、そなたの糧になるであろう」

「っ……!!」


左慈の声が完全に消えたとき、趙雲の頭の中は真っ白に染まる。
目映いほどの光に包まれたその先に見えたものは…、異世界と呼ぶに相応しい世界であった。



END

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