悲嘆の雲
まさか星彩までも、悠生に疑念を抱いていたとは。
奇怪な術を用いて、将兵を殺したと言うのか?
つまりそれを知る阿斗が、悠生を庇うために話を合わせているとでも…?
だが星彩は、美しい瞳を閉じもせず、真っ直ぐに趙雲を見つめている。
そこから読み取れる感情はただ一つ。
追い詰めようとしての発言ではなく、彼女は、趙雲へ救いを求めていたのだ。
「悠生殿自身に害はありませんが、阿斗様はきっと、悠生殿のためなら何でもしてしまうのでしょう。それでは、蜀のためにはなりません」
「私は悠生殿を信じている。だが、もしものことがあれば…星彩、君は阿斗様を支えてくれるね?」
趙雲の問いに、星彩はしっかりと頷いた。
もしも、最悪の結末を見ることとなり、阿斗の心が完全に凍り付いてしまえば、二度と蜀の未来は望めないだろう。
心の支えを失えば、脆くも崩れてしまう…それほどに、阿斗は未熟で、完成しきっていない。
次期君主となる阿斗には、星彩と悠生、どちらも欠けてはいけないのだ。
趙雲が諸葛亮の執務室に駆け付けた時、室内の空気は、ピリピリと張り詰めていた。
…殺気にも、似ている。
その恐ろしい気を放つのが阿斗だと言うことに、趙雲は胸が痛む想いをした。
「趙雲殿、よくいらしてくれました。縁談の件でしたら…」
「いえ、今回は別件でお訪ねしました」
いつもと変わらぬ穏やかな物言いをする。
このような状況でも余裕な態度を崩さない諸葛亮、それが更に阿斗を苛立たせているのだ。
「諸葛亮は何としても悠生を追放したいらしいぞ、子龍」
「諸葛亮殿、どういうことですか?」
「阿斗様は本来、聡明なお方…、ですので、私の考えをありのままにお話しただけです。きっと、ご理解いただけるであろうと…」
…反骨、という言葉が思い浮かんだ。
諸葛亮が魏延を毛嫌いする、理不尽とも思われる理由が、反骨の相である。
それだけで危険視するというのも酷い話だが、諸葛亮は直感したのだろう。
相手の印象、即ちその者の本質を、諸葛亮は自身が受け取った感情や情報を絶対的に信じている。
悠生にも、諸葛亮が疑問に思う点があるのではなかろうか。
「私は、兵を襲ったのが悠生殿だとは考えていません。ですが、悠生殿には致命的な穴があるのです」
「それは、いったい…」
「恐らく…、悠生殿はこの世の者では無いのでしょう」
阿斗は黙って諸葛亮を睨み付けていた。
再び同じような話を聞かされるのが苦痛なのだろう、その内容が、悠生を蔑むものであるために。
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