最初の喪失



平々凡々、が一番幸せなのだと思う。
現代に生きていた頃は、普通…とは少し違うかもしれないが、別にそれと言って変わったことは無かった。
学校を休みがちではあったが、どこにでも居るような中学生だったのだ。



「全く…空気が悪いですね」


悠生に学問を教えていた黄皓は、ぐちぐち言いながら、手櫛で髪をとかしていた。
湿気をたっぷり含んだ空気が重く、不快指数も上昇する一方である。


「黄皓どのって、外のことに詳しいですか?」

「いえ…詳しいと言うほどでもありませんが」

「今、魏や呉がどんな動きをしているかって分かりますか?」


黄皓はぴくりと反応し、複雑そうな顔で悠生を見返した。

中国大陸は広い。
日本列島だって、北と南では四季に大きな差があるのだから。
成都に雨が降っているからといって、遠く離れた地方の天候までは分からないが…、悠生は曇った空を見上げては、溜め息を漏らす日々を過ごしていた。


「…関平殿ですか?」

「はい…凄く、心配なんです」


胸に手を当て、悠生は深く息を吐いた。
樊城の戦い…。
連日続いた雨を利用し、川を氾濫させ、関羽は水攻めを決行する。
それは良いのだが、謀反や何やらでいつの間にか形勢は逆転し、関羽や関平は敗走してしまうのだ。


「……、嘘で貴方を慰めても意味がありません。あまり、良い状況では無いようです。諸葛亮殿が対策を練り、すぐにでも援軍を派遣するでしょう」

「雨は…怖いです…いつも、雨だから…」


関平は今、冷たい雨に打たれているのだろうか。
呉の軍師である呂蒙が気の毒になる話だが、今となると関羽を死に至らしめることとなる呂蒙を恨めしく思ってしまう。


「話は変わりますが、趙雲殿に縁談の話が来ているそうですよ」

「縁談?」

「ええ。お相手は馬超殿の妹御だとか…」


馬超の妹。
それはきっと、馬雲緑のことだろう。
蜀が天下を統一するという、反三国志に登場する架空の人物だ。
彼女は趙雲の妻となったと書かれている。

趙雲とは毎日のように顔を合わせているが、彼の口からは一言も、そんな話は聞かなかった。
驚いてはいるのだが…、何の反応も示さない悠生が気になったのか、黄皓がじっと見てくるので、少し気まずさを覚える。


「ま、まだ…結婚していなかったんですね、趙雲どのは…」

「確かに不思議な話ではありますね。あれほど出来た御方が独身で居る理由など無いでしょうに。誰か想う女性でもいらっしゃるのではないですか?」

「……、」


この時代の結婚適齢期はとっくに過ぎているはずだが、他に好きな人が居るから結婚しない、と言うのは我が儘だ。
妻を持つのは義務のようなものであろう。
だから…、おかしいとは思うのだが…、趙雲が結婚をするかもしれないと聞いて、胸が鈍く痛むのは、どうしてだろうか。


 

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