夜闇に惑う



「妖かしか…!?」


趙雲の心の乱れを感じ取り、悠生のふりをして近付いてきたのかもしれない。
槍を手に、趙雲はいつでも攻撃を仕掛けられるよう、体勢を整える。
しかし、ふと足元を見れば、護衛兵全員がうつ伏せに倒れていたのだ。
山頂より流れてくる白い霧は、よもや毒霧だったのではないか。

護衛兵の容態を確認する暇も無く、妖かしの方が、ぬかるんだ土を踏みしめながら、ゆっくりと此方に近付いてくる。
明らかにこの世の者とは思えない…全身から微かな白い光を放ち、悠生の顔をして、雨に濡れた妖かしが姿を現した。


「貴様…悠生殿に化けるなど、断じて許さぬぞ…!」

「あなたは、僕を討てる?来たるべき時には…迷わず、その槍で僕の胸を貫いてよ。それが出来るのは限られた人だけ。本当の意味で、強い人だけだ」


…何を、言っているのか。
自ら死を望んでいるとしても、信用すべきではないのに、悠生が口にするその言葉は趙雲にとって、あまりに衝撃的だった。

妖かしはくすくすと笑いながら、悠生よりもずっと色気を感じさせる仕草で…、趙雲の胸に指を這わせた。
趙雲は硬直し、一歩も動けずにいた。
気づかぬうちに妖かしに術をかけられてしまったのか、目の前の悠生に…心を絡め取られてしまったのか。

趙雲の体は岩のように微動だにしない。
じりじりとにじり寄ってくる妖かしを振り払うことも叶わず、躊躇いもなく触れてくる悠生を…、見ていることしか出来なかった。


「き、貴様……」

「今日はあなたが来てくれると思ったから、迷える御霊は連れて帰ったよ。だから、安心してあの子のところへ帰ってあげて」


妖かしは背伸びをし、趙雲の唇をかすめるように軽い口付けをし、いたずらっぽく笑う。
どくん、と胸が高鳴った。
頭では妖かしと対峙しているのだと理解出来るのに、悠生に口付けをされたと錯覚してしまう。
もう一度口付けて、唇を吸って…その場に押し倒し、何もかも、奪ってしまいたい。
冷たい雨の中であっても、悠生の熱を得られたら、どれほど心地良いことか。
想像であっても決して得られないものが、今なら手に入るかもしれないのだ。


(魂ごと、持っていかれてしまいそうだ…)


趙雲は悠生の頬に手を添え、視線を合わせる。
己の親しい者に化けて、欲を抱かせ、心を惑わせる…これが人々を誘惑し死に至らしめる妖かしのやり方なのかと、恐れをも感じる。
だが、向けられた純な瞳は…嫌でも悠生を思い起こさせるのだ。
まるで本当に、悠生と向き合っているかのように。
趙雲は誘われるまま、唇を重ねようとするが…悠生の体が透け、消えかかっていることに気付く。
今にも雨に紛れ、闇に溶けてしまいそうなほどに儚いものに思える。

そして、悠生とは異なる存在であると、趙雲は実感せざるを得なかった。
そもそも、城で帰りを待ってくれている彼が、このような場所に居るはずがなかったのだ。
趙雲はやっとの想いで愚かな考えを振り払い、声を張り上げた。


 

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