夜闇に惑う




雨がしとどに降る宵の頃、趙雲は成都に程近い山寺を訪れていた。
既に廃寺となっており、山道にはまるで人気も無く、不穏な空気を漂わせている。

今回の目的地である寺は、百年も昔に山賊に襲われ、僧侶達は皆虐殺され、雨と共におびただしい血が流れたのだという。
そのためか、梅雨の頃になると、入山した人々の前に"妖かし"なるものが現れるらしいのだ。
妖かしに手招かれ、魂を奪われた人々は、翌日物言わぬ遺体となって次々と発見された。
僧侶達の怨念がこの世に生き続ける限り、黄泉への誘いを受ける被害者は減らないだろう。

このまま放置し、毎年のように民を不安に怯えさせ続ける訳にはいかない。
諸葛亮に命じられ、趙雲はこうして妖かし討伐に赴いたのである。
一般兵卒では心を惑わせかねないからと、成都から距離が近いこともあり、趙雲と数人の護衛兵で任を請け負うこととなった。


(妖かしに、この槍が通用すれば良いのだが…)


何処から話を聞きつけたのか、阿斗は趙雲が妖かし退治に行くという話を、悠生に話してしまったらしい。
此処へ来る前に顔を合わせた悠生は、具合が悪いのかと心配になるほど青ざめた顔をしていた。
「趙雲どのは強いけど、妖かしが相手だなんて…」と、得体の知れないものと戦わねばならない趙雲の身を心配していたのだ。
なんと可愛らしい人なのだと…、悠生に惹かれていた趙雲は彼の純な想いに、どうしようもなく胸を騒がせたのである。
すぐに戻ることを告げれば、悠生は少し苦しそうな顔をして、「阿斗と一緒に待っています」と笑った。


(まいったな…私は、本当に悠生殿のことを…)


同じような見送りの言葉を、もし別の人間に言われたとしても、これほどの喜びは得られなかっただろう。
いったい悠生の何が趙雲を翻弄させているのかと、改めて考えると、自分でもよく分からなかった。
しかし、日に日に悠生への想いは募り、膨れ上がっていくばかり。
「過ちは犯さぬ」と阿斗への誓いが戒めとなってはいるが、趙雲は自分の気持ちを抑制するのに手一杯なのである。

だが今は、雑念など捨てなければならない。
余計な感情は、妖かしにつけ込む隙を与えかねないのだ。
趙雲は視界が悪い雨の中、山寺を目指してひたすら足を進めていた。


到着まで残り後僅かと言ったところで、深い霧が発生し、登山が極めて困難な状態となってしまう。
だが、妖かしは雨の降る夜にしか現れない。
朝になって出直しては、次いつ機会が訪れるかも分からないため、趙雲はより慎重に歩みを進めていた。

その時だった。
「ねえ」と静かな子供の声が響いたのだ。
沛然たる雨音の中でも、はっきりと耳に届く澄んだ声が、どこからか聞こえてきた。
しかもそれは、先程まで思い返していた、悠生の声そのものだったのだ。


 

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