誰かの徳の道



「…咲良ちゃん…ごめん…」


ぽつりと、静かな空間に吐き出した姉の名前と謝罪の言葉。
二度と、その名を音にすることは無いと思っていた。
姉から名を呼ばれることも、無いのだと。

現実的に考えれば、この世界は夢であって、本物ではない。
長年共に暮らしていた姉を見捨て、出会って間もない友を選んだ自分は…酷い弟だろう。
咲良の所在が掴めないままだから、気掛かりは残っていても、悠生はすんなりと阿斗と蜀を選ぶことが出来た。

だから、本当は…咲良のことなど知りたくなかったのだ。
今になって、罪悪感に押し潰されそうだった。
生死が判明した途端、姉や家族、日本を恋しく思うなんて…阿斗にも、咲良にも失礼だ。

服の袖で痛いほど、ごしごしと目元を拭った。
涙を見られては、誤解されてしまう。
いじめられた訳ではない、これは…自分の情けなさに、泣いてるのだ。


「…悠生殿?」

「…趙雲どの…」


…大丈夫、涙は止まったから。
背に声を投げ掛けられ、訪ねてきた人物が趙雲だと気付いた悠生は、女官に何か言われて様子を見に来たのかなと思い、ゆっくりと振り返る。
だが、大丈夫だと思っていたのに、悠生の顔を見た趙雲は…酷く驚いているようだった。


「悠生殿、いったい何が…?何故、そのような目をする…」


そのような、って、どのような?
泣いていたことを指摘された訳ではなく、趙雲が何を言っているのかが分からず、悠生は首を傾げた。
静かに扉を閉めた趙雲は、一歩ずつ、ゆっくりと近付いてくる。
その間に部屋の中を見渡し、趙雲は訝しげに眉をひそめた。


「…誰かと、話をしていたのか?」

「え…?あ、はい…、すぐに帰っちゃいましたけど…白髪の、おじいさんと…」

「白髪の老人?私は誰とも擦れ違わなかったが?」


机上に残された二つの茶器のせいだ。
左慈は瞬間移動をしたため、既に城内には居ないのだ。
悠生の部屋には人間が隠れられるような場所は無いため、趙雲の疑念は消えない。

嘘を付いている、と思われても仕方がない状況だった。
弁解も言い訳もせず、はっきりと語らない悠生に趙雲は、…がっかりしているのか、小さく溜息を漏らした。


 

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