誰かの徳の道
「小生は人の子の所行に口を出すことはあるが、深入りすることは出来ぬのだ。だが、そなたには聞いておかねばならぬことがある。悠生よ、そなたの目の前に二つ、道があるとする。どちらか一つ、選んでくれるかね」
左慈は年齢の割に若々しく見える指を折って説明した。
戸惑う悠生に突きつけられた、指し示めされたものとは。
「第一に、蜀と生涯を共にする道。これこそが、そなたが歩もうとしている道であろう」
確かに、悠生がいつも考えていた生き方だ。
時が許す限り、阿斗の傍に寄り添い、彼の行く末を見届ける。
自分にはそれだけだと思っていた。
劉禅が暗君と呼ばれぬよう、彼の補佐的な存在になれれば良い、と。
大好きな咲良との未来は、もう想像も出来なかったから。
「二つ目は、姉君と共に、国へ帰還する道。すなわち、世界からの脱出である」
「そ、そんなこと…!」
「方法が無い訳でもない。少々御身に危険は伴うが…。さて、そなたはどうする?このまま大徳の御子を支え行くか、家族の元へ戻るか。そなたが後者を選ぶならば、小生が導いてやらぬこともない」
「……。どうしても選ばなくちゃいけないなら、僕は…」
はっきりと返答をするには決意が固まらず、迷いが残り、悠生はがりっと唇を噛んだ。
思いっ切り歯を立てれば、瞬時に血の味が口の中に広がった。
…そうすると、安心するのかもしれない。
胸の痛みを、少しだけ忘れられるから。
選択に、悩んでいる訳ではないのだ。
誰が一番大事な人か…それは間違い無く、孤独の底から救い出してくれた阿斗なのだと、断言出来る。
ただ、姉よりも阿斗を選んだ悠生を、甘い言葉で迷わせようとする…、左慈を恨めしく思った。
「僕は音楽を知らない。だから左慈どのは、咲良ちゃんのことを気にしてあげてください」
「決意は、変わらぬか」
「だって僕は…ずっと、阿斗と一緒に居るって決めたから。だから…」
意固地になっている、のだろうか。
孤独な阿斗をひとりにしておけないから、と理由を付けていたら、結局は自分が損をする。
未来が、永遠が、考えられない。
でも、少しでも、誰かのために生きることが出来たなら、自分にも価値があるように思える。
だから、今のままで、しあわせなのだ。
「ふむ…、人が近付いているな。そろそろ失礼しようか。いずれまた、まみえよう」
「左慈どの!あの…もし、咲良ちゃんに会ったら、ごめんねって…伝えてくれますか…?」
すっ、と立ち上がった左慈の背に、悠生は悲痛な声をぶつける。
振り返った左慈は小さく唇をつり上げて、そして、消えてしまった。
[ 95/417 ][←] [→]
[戻]
[栞を挟む]