虚しい錯覚



「首を…どうした?これは…」

「さ、触らないで!もう、一人にしてください…趙雲どのには、関係無いんだから…!」


ここまで踏み込んでしまったら、後戻りが出来るはずがない。
全力で嫌がる悠生を片手で押さえ込み、これ以上暴れないようにと寝台に押し付ける。

上から悠生を見下ろした趙雲は、我が目を疑った。
首に…手形がくっきりと残っていたのだ。
腫れ上がる真新しい傷は、悠生の受け止めた苦痛を物語っていた。
殺すつもりで締め上げなければ、ここまで酷い痕は残らないだろう。


(あの黄皓殿が、たかが口論でこのような暴挙に及ぶなどと…悠生殿は弱い子供だというのに)


そりが合わないから、で片付けられるような、簡単な話ではない。
阿斗様の寵児に傷を付けた…、それが周りに知れては黄皓はただでは済まないが、同時に、大事にしてしまえば、悠生の心にまで負わせた深い傷が、さらに深くなる。
悠生は阿斗に迷惑をかけたくないと思っているのだ。
自らの口を閉ざし、一人で苦しみを抱え込むつもりでいたのだろうか。
涙に濡れた悠生の瞳を見た趙雲は、彼の心を傷付けたのが黄皓だけではないことを実感し、己を責めるほかなかった。


「…忘れた方が、良かったんです…全部…」

「何…?」

「真っ白になって、何も知らないで此処に来ていたら…僕は…、阿斗と一緒にいたいなんて夢みたいなことを、願ったりしなかったのに…!」


ひっくとしゃくりあげ、悠生は次々に透明な涙を溢れさせる。
今までも何度か、彼の涙する姿は目にしていたが、頬を濡らす雫は冷たく…そして悲しい。

悠生は阿斗のことを心から想い、慕っている。
劉備の嫡男の隣に並ぶために悠生が歩むべき道は、どれほど過酷であろうか。
それを知っていて、悠生は尚、一人で堪え忍ぼうとするのだ。
…好いた人に嫌われてしまうことを恐れるあまり、誰かに頼ることが出来ないから。


「ならば私が、黄皓殿から、悠生殿を守ってみせよう」

「趙雲どのが…?」

「ああ。私は何があっても、貴方の味方だよ」

「それは…、僕が阿斗のお気に入り、だから?」


事実、その通りだ。
阿斗の大切な存在であるからこそ、趙雲は悠生を懸命に慰めようとするし、見守りたいとも思う。
阿斗が傍に置きたいと願わなければ、趙雲がこうして悠生の涙を拭うことだって無かったかもしれないのだ。

答えを求める黒い瞳は、不安に揺らいでいる。
悠生の心の傷を癒すも抉るも、趙雲の言葉次第だ。
信頼を失うことだけは避けたいが、嘘偽った気持ちを口にするつもりは無い。


 

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