信頼に足る者




凌統は、不甲斐ない自分を呪った。

かつて、水賊として名を馳せていた甘寧は、凌統の父を戦で討ち取った。
今でこそ同じ主の元で孫呉の天下のために戦う仲間、だが、父の仇をそう簡単に許せるはずがなかった。
認めてしまえば、父が報われぬと思った。
だからこそ、これまでは意識して、甘寧と距離を置いてきたのだ。


「おいこら!しっかりしねえか!」


甘寧の叫び声に、凌統はやっと我に返る。
砂埃が舞い上がり、辺りには木箱の残骸が散らばっていた。
その中に、不自然な赤色を見る。
どろりと水たまりのように広がっていく…


(……嘘だろ?)


凌統は一瞬にして状況を把握する。
所用のため、城下に赴いたら偶然甘寧と出会してしまい、目が合った途端に、くだらない言い争いに発展した。
我慢出来ずに手を出してしまったが、たかが喧嘩…、民間人を巻き込むつもりなど無かったのだ。

おびただしい血を流し、ぐったりと横たわる娘を目覚めさせようと、甘寧はその体を乱暴に揺さぶっていた。
背筋がひやりと冷たくなる。


「何を馬鹿なことを!そんなことをしたら傷口が広がるだろ!?」

「じゃあどうしろってんだよ!!」

「無闇に動かしたら危険だっつの!俺が止血をするから、あんたは人を呼んできてくれ」

「おう、待ってろ!」


耳にうるさいほど、けたたましく鈴を鳴らし、甘寧は一目散に駆け出していく。
凌統は少しばかり驚いていた。
まさか、不仲である凌統の言葉を、甘寧が素直に聞き入れるとは思ってもいなかったのだが、彼も同じように焦っていたのだろう。

枕代わりにしようと、凌統は上着を脱ぎ、少女の頭に振動を与えないよう慎重に動かした。
全身を強く打ちつけているらしいが、特に出血が酷いのは右腕だ。
あらぬ方向に曲がっている…、触れてみれば、骨が折れているようだった。
なんと痛ましい。
凌統は申し訳なさで居たたまれなくなる。


(この娘…見覚えがある…)


丁度良く道端に転がっていた綺麗な布を、まずは止血のため傷口に押し当て、残りは包帯代わりにしようと適度な長さに裂く。

何処かで、顔を合わせたことがあっただろうか。
思い出そうと記憶を探っていた凌統だが、ふと、彼女が大事そうに抱えている黒い箱を見つけた。
その中身は分からなかったが、凌統ははっとして、孫策の法要の日のことを思い返した。


(あっちゃー…、最もまずい人間を傷つけちゃったんじゃない?)


そう、この娘は楽師・落涙である。
運が悪かったのだ、我々も、落涙も。
奏者である彼女の腕に深い傷を負わせてしまえば、落涙は笛を持つことが出来なくなる。

凌統は自身を落ち着けようと試みたが、焦りが幾分か勝っていた。
止血のため強く布を押し付け、これからどうするかを思案しつつ、甘寧が戻るのを待つ。
このままの状態で城へ運べば、出血多量で彼女の命が危うくなる。
だからと言い、此処へ城の典医を呼ぶにも、城と城下町、医師を往復させる時間など無い。


(…あれ…ちょっ…、えっ!?)


出血を止めようと奮闘していた凌統は、我が目を疑った。
一向に、意識の回復の兆しも見えない。
呼吸は荒く脈も弱いが、落涙は懸命に命を繋ぎ止めようとしている。
彼女はまだ、生きているのだ。

だがしかし、この異変は身に覚えがない。
凌統は未だかつて、死の淵に立つ人間の体がこのような変調を訴える様子を見たことがなかった。


「透けてる……?」


確かに、落涙は其処に居た。
消えてしまうことを恐れ、凌統はずっと彼女の手を握り締めていたのだから。

淡い光を放つ少女は、再び甘寧の鈴の音が響き渡った頃、元の色を取り戻した。


 

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