色褪せた文字



(でも、戦が始まるなんて、何だか信じられないな。呂蒙様…、明日もこの場所で会えそうな気がするのに、居なくなっちゃうんだ)


書庫の中は当たり前のように埃っぽくて、少し呼吸をしただけで噎せてしまいそうだ。
踏み台を使い、本棚の端から一冊一冊ページをめくり、状態を確認する。


「落涙殿、貴女が足を踏み外したら俺が必ず受け止めるが、十分に気を付けてくれ」

「ふふ、呂蒙様…やっぱり、お父さんみたいです。皆に慕われる理由が分かります」

「うむ…確かに。この年で大きな子供が居るのも可笑しいが、陸遜や甘寧を見ていると、時折胃が痛くなってな」


咲良が呂蒙に父性を感じるように、彼もまた、若い陸遜達のことを息子のように感じることがあるのだろう。
呂蒙は誰よりも、部下を気にかけている。
個性的な若者達が呂蒙に与えるものは疲労や心配事だけでは無く、喜びや幸せが勝っているはずなのだ。

胃が痛むと言うが、ただのストレスであってほしいと思うも、病が潜んでいる可能性も否定出来ない。
あからさまに不安そうな顔をしてしまったのだろう、隣で作業をしていた呂蒙は笑顔を作り損ねた咲良を見て、何か言いたげに口を開く。
どのような質問であれ、上手く答える自信が無かったので、咲良は呂蒙よりも先に声を出した。


「必ず、帰ってきてくださいね。そして、元気なお顔を見せてください。怪我したら、嫌ですからね」

「落涙殿からそのような言葉を…、いかんいかん、俺には勿体無かろう。勿論、俺は貴女を悲しませたりはせんが…、他に、無事の帰還を祈りたい相手は居ないのか?」

「他の人…ですか?」


武運を願う言葉は、何も呂蒙だけに向けたものではない。
尚香や陸遜、甘寧、凌統…叶うならば、戦地に赴く孫呉の将兵達全員が、無事であってほしいと思う。
傷付いてほしいはずがないだろう。
彼らは友人であり、家族のように大事な人達なのだから。

皆、理由も無く戦っている訳ではない。
国のため、信じる者のため、誰かを守るため…戦争は避けられないものではあるが、咲良は、恐怖心を覚えずにはいられないのだ。
死など、最も縁の無いものであった。
だからこそ、皆の無事を願うと同時に、いつ訪れるかもしれない死を予感し…彼らの帰りを待つ日々すら、不安に怯えることになるような気がしてならなかった。


「落涙殿、俺が尋ねて良いかは分からないが…、甘寧のことを、どう思っている?」

「甘寧さんですか?そう言えば…昨日、甘寧さんにも同じことを聞かれました」

「なに!?して、落涙殿は何と答えたのだ?」


急に話題が飛んでしまい、更にはこれまで落ち着いていた呂蒙が何故か取り乱したため、咲良はびくりとするが、ひとまず、昨晩の出来事を思い出すことにした。

何の知らせも無く、理由も無く…甘寧は胡蝶蘭を届けるためだけに、咲良の部屋を訪ねたのだ。
花を貰ったのは、卒業式や部活の引退式ぐらいである。
とても、嬉しかった。
怪我の責任を感じての行動だと知っていても、綺麗な花を贈られて、嬉しくないはずがない。


「甘寧さんのことは苦手でしたけど…本当は、悪い人では無いと思ったんです。私は甘寧さんの真っ直ぐな瞳が好きなんですよ。…と、そのような話をしましたが…」

「……、」

「…な、何か…まずかったでしょうか…?」


呂蒙がぽかんとした表情で硬直しているため、咲良は昨夜の発言で甘寧を怒らせてしまったのではないかと、顔を青くする。
しかし、やっと口を開いた呂蒙の、次の言葉は意外なものだった。


 

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