ひとりぼっちの涙




咲良はただ、驚愕するばかりであった。
吹く風は穏やかなのに、焦りと混乱のためか背筋に震えが走るほどに肌寒く、肺に取り込んだ空気がとても冷たく感じられた。
記憶が正しければ、自分はずっと…悠生と一緒に、部屋にいたはずなのだ。


「な、なに…何で!?此処は…何処……?」


遮るものが無い、高く真っ白な空を見上げ、よろよろと起き上がった咲良はどうすることも出来ずに呆然と立ち尽くす。
全く人気の無い静かな街。
街とは言うが、建造物は日本ではあまり見ないような造りのものばかりだった。


(日本じゃないみたい…でも、なんとなく、見覚えがあるような…?)


思い当たる事柄はあれども、それを口にしてはいけないような気がした。
辺りを見渡していた咲良は、すぐ傍に転がっていたフルートのケースを見つけると、慌てて手にして抱き締めた。
嫌な予感がしてならない。
まさかそんなはず、とは思うが…、そんなことがあって良いはずが無いのに。


(夢……だったら良いんだけど、現実なのかも…。そうだ、悠生を捜さなくちゃ!!)


部屋の中に居たのだから、靴だって履いていないのだ。
靴下が汚れるのが気になるが、道を塞いでいては迷惑だし、現代では珍しくもない学生服も、この時代錯誤な街には不釣り合いで目立ちすぎる。
咲良はひとまず家屋の軒下に身を隠し、壁に背を預けて途方に暮れた。

ゲームは好きだが、それはフィクション…物語なのだ。
もう、夢のような御伽噺に憧れる子供ではない。
それでも、今目にしているものが夢であるはずが無かった。
足の裏から直に伝わる冷たさが、酷な現実を告げている。


(もし…もしも此処が三國無双の…ううん、1800年前の中国だとしたら…)


考えたら、ぞっと背筋に寒気が走った。
あってはならない、非常にまずい状況だと思えた。
非現実的な話だが、ゲームの中の世界に取り込まれたのか、過去の中国に飛ばされたのかは定かではないが…、流れを考えると前者だろう。

だったら、どうする。
私は殺されてしまうのではないだろうか。

大丈夫だからと、自分に言い聞かせるようにして、咲良は再び足を進めた。
出来るだけ、人には出会いたくないとは思っていたが、前方から町人が歩いてくるのを見ると、咲良は慌ててとっさに脇道に入った。
彼らの着ていた衣服は三国時代の平民のもの、ならば余計に、咲良のセーラー服は異端と思われて間違いない。

小走りで道を抜けると、そこには小さな川が流れていた。
土手を下り、橋の下に駆け込む。


「……、どうしよう」


いくら考えても、答えが出るはずもない。
知らない土地に放り出され、帰り方だって分からないのだ。
このまま、泣いてしまいたくなった。

元々、咲良は涙腺が弱く泣き虫である。
悠生が熱を出し倒れた時などは、心配でたまらなくて、高校生にもなってめそめそと泣いてしまうのだ。
いつもなら、大丈夫だから心配しないで、と悠生の方が慰めてくれたのに。


(でも、今は悠生も、ひとりぼっちでしょ?きっと同じだよね、私達…)


恐らく悠生も、咲良と同じ不安にかられているはずだ。
だからこそ、姉である私が泣く訳にはいかない。

ぐっと涙をこらえた咲良は、ケースを開けると、震える手でフルートを組み立て始めた。

人に見付かる恐れがあったが、それよりも、もしかしたら悠生がフルートの音に気付いてくれるかもしれないと、僅かな希望を抱いたのだ。
二人なら、誰かに捕まったって怖くない。
だから早く、悠生に会いたい。


(悠生…夢じゃないの…?早く私を起こしてよ…!)


今は、小さな可能性を信じて縋るしかなかった。
悠生に、会いたい。
お世辞にも頼りになるとは言えないが、弟が傍にいるならば、古代の中国でも真っ暗な獄中でも、心を失わずに生きていける気がしたから。

深く息を吸った咲良は、気を紛らわせるように、フルートを奏で始めた。
柔らかな音色は、こんな場所でも美しく響き渡った。
普段の咲良は、自らの演奏に酔うと、周りが見えなくなる。
完全に、無心となる。
それは自分のためだけにフルートを奏でているからであり、勿論、皆と一緒に演奏をするときは指揮を見て、周りの音に関心を持つようにはしているのだが…
結果、咲良は目の前に見知らぬ女性が立っていることにすら、気付くことが出来なかったのだった。

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