弱虫の内面
「甘寧さん、どうかしましたか?こんな時間に…」
「別に用はねえんだが…これ、あんたにやるよ」
「えっ…」
半ば押し付けるようにして、小さな鉢植えを差し出す。
甘寧にその花の名はよく分からなかったが、女官が言うに、女性には喜ばれる花らしい。
雪のように白く、愛らしい形をした花が、落涙によく似合っていると思えたのだ。
「あ、ありがとうございます?凄く可愛い花…。あ、これ、胡蝶蘭…ですよね?」
「胡蝶蘭?」
「はい。胡蝶蘭の花言葉は、幸せの訪れ、らしいですよ!素敵ですよね…、大切に飾りますね」
少し頬を染め、彼女は微笑した。
すぐに気に入ってもらえたようで、甘寧はほっと肩を撫で下ろす。
香りを確かめようと、鼻先を寄せた落涙だが、花に口付けをしているようにも見える。
その姿を見たら、何故か居心地が悪くなり…甘寧はふいっと視線をそらしていた。
「本当に、戴いて宜しいんですか?」
「あんたのために用意したんだ。気にせず貰ってくれよ」
「ありがとうございます。嬉しいです…甘寧さんに、幸せを戴けるなんて!」
落涙に最も似合うと思った花に、秘められた言葉。
幸せの訪れ…、甘寧はその花の名さえ知らなかったと言うのに。
これほど眩しい落涙の笑顔を、甘寧は今日この時まで目にしたことが無かった。
…もうすぐ、本格的に戦が始まる。
楽師の落涙には知らされていないだろうが、城内でも日に日に緊張が高まってきている。
戦地へ出兵してしまえば、軽く見積もっても数ヶ月は城へ戻れない。
自分が居る限り孫呉が敗北することは有り得ないと甘寧は自負していたが、怪我をせず帰還出来る保証は無いのだ。
未だ、落涙の傷は癒えず、彼女は楽師として復帰することが出来ていない。
それほどに深い傷だったというのに、どうして笑顔を見せてくれるのか。
今こうして向かい合っていられることを、当たり前だと感じてはならないのに。
守りたいと思うだけでは駄目だ。
直に、離れなければならない日が訪れる。
落涙が他の誰かに泣かされても、遠い場所に居る甘寧は、何もしてやれない。
無事を、祈ってやることしか出来ない。
(俺は…あんたに、会えなくなるかと思った途端、怖くなった)
「…あんたさ、」
「はい?」
「俺のこと、どう思ってる?」
胡蝶蘭の匂いが漂う。
幸せが訪れるように…との願いが込められた花。
花の意味も知らないで、適当な男かと思われたかもしれない。
この複雑な感情を知られないように、怯えさせないように、甘寧は精一杯柔らかい声で問う。
唐突な質問に驚いたらしい落涙は、甘寧を見つめたまま黙っていたが、暫くして、少し困ったように笑った。
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