弱虫の内面




落涙の音は、すっかり忘れていた人間らしい感情をひとつ、思い出させてくれた。


「あれだよな、世の中、俺らが想像する以上に広いってことだよな」


燃えるような夕焼け空が、眩しくも美しい。
だが、地に長く伸びる影が、隣に並ぶことは決して無い。

それぞれの邸に戻るところであったが、甘寧は意地でも隣を歩こうとしない男の背を、後方から見ていた。
唐突に、思ったことを呟いてみれば、凌統は「はぁ?」と心底うんざりしたように聞き返す。


「凌統よ、今まで付き合った女に何を求められたか覚えているか?」

「…何を言い出すのかと思えば…。あんたと同じだよ。煌びやかな装飾品だとか、庶民には手に入らないような高価なものばっかりだ。普通の女ってそうだろ?それが普通だと思っていたから、俺だって何も感じなかった」


すぐ、凌統は質問の意図に…、甘寧の言葉の裏に、落涙が隠れていることに気付いたようだ。
つくづく、女とは面倒なものだと思う。
此方にその気が無くとも、勝手に勘違いして言い寄ってくるものだ。
そう思い込んでしまったのは、そういう女としか付き合って来なかったからだ。

地位と外見、今まで甘寧に言い寄って来た女は、恐らく外側しか見ていなかった。
特に、孫呉に降り、将軍の位に就いてからはそれが酷くなる。
ろくに会話もしたことが無い男を、どうして愛することが出来ようか。
甘寧には全く理解が出来なかったが、来るものを拒むなど男として情けないと考えていたため、一夜限りの関係を持った女性は数知れない。


「一応言っておくけど…、あんた、間違っても落涙さんに手を出すなよ。あの人は変わっているだけなんだ。あんたみたいな野蛮人を相手にしたら、簡単に壊れるっつの」

「けっ…別にそんなことしねえよ!」


嫌みにも聞こえるが、凌統の意見は正論だ。
間違っていない、だからこそ無性に苛立ってしまうのだ。
顔も見ずに指摘をする凌統の態度が気に入らないが、だからと言って八つ当たりをする訳にもいかず…、仕方無く甘寧は地を蹴って駆け出した。

鈴の音が一つ足りないことに、自分でも違和感を覚えた。




甘寧が、この世で最も信頼する男。
それが呂蒙だ。
凌統との仲を取り持ったり、乱闘騒ぎを起こし、大都督である周瑜に謝罪をする時も、同行して一緒に頭を下げてくれた。
長々と説教はするが軽蔑はしない、甘寧を理解し、親身になってくれる。
誰より尊敬すべき人間なのだが、甘寧が呂蒙をおっさんと呼ぶのは、その度に構ってもらえることが嬉しいからだ。

そんな呂蒙に落涙の話をしたら、『彼女はお前を好いているのでは?』と言った。


(おっさんは適当な事を言ったりしねえ…だがよ、それはさすがにどうかと思うぜ?)


甘寧は泣き虫な少女のことを思い返し、自分が仕出かした数々の無礼に苦笑する。
間違い無く傷痕が残るであろう酷い怪我を負わせ、職を失わせた。
そればかりでは無く、傷心の彼女の部屋に押し入り、自身の勘違いから余計な涙を流させてしまった。

落涙に非は無いのだから、最低な男だと罵倒されようと、甘寧は彼女の悲しみを受け止めることしか出来ないはずだったのに。


(本当に、変な女なんだよな…)


自分が守らなくてはならないと、使命感に似た想いを抱いたのは、消えそうにない罪悪感からだった。
それが愛情かと問われたら答えられない。
女は好きだ、好きなのは、男には無いその柔らかい体、だが。
それでも、落涙を手篭めにしたいとは一度も考えなかった。
処女を汚すことほど、後味の悪い行為は無いだろう。

しかし、落涙がもしも、呂蒙の言う通り、甘寧のことを思慕しているのだとしたら。


 

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