清らかな雫
「落涙さん、謝罪が遅くなってごめん。どうか、許してほしい」
「いいえ、こちらこそ、病棟を出たのに報告にも行かず、申し訳ありませんでした」
本当に、咲良は怒ってなどいないのだ。
先に謝りに来た甘寧には、かっとなってしまい、ある程度の苛立ちを覚えたが、もう過去のことである。
「あんたって…変わった人だね。何故そう簡単に人を許せるんだい?下手したら死んでいたかもしれない、その腕だって、まだ完治していないんだろう?」
「恨んだって…意味がありません。確かに、何で私がこんな目に遭うのか…凄く悲しく思いました。だけど…」
だが、甘寧は…やり方は強引でも、仲直りをしようと自ら歩み寄ってくれた。
下手をすれば更に恨まれてしまうかもしれないのに、甘寧は躊躇うことも恐怖することもなく、咲良の心の壁をぶち壊したのだ。
そのような素直な人を責め続けることなど、出来るはずがなかった。
いつまでも根に持ち、腹を立てている自分の方が、心が狭い人間のように思えてならない。
「ですから、今は…甘寧さんとも仲良く出来る気がするんです」
「理屈っぽいね。でも…言い返せないな」
分かってくれる?
私は怪我をし職を失った、貴方は敬愛する父を失った。
受けた悲しみの程度が違うから、私と同じように彼を許してとは言わないけれど、少しでも理解してくれたなら…、それだけでも良かった。
「じゃあさ、あいつに…甘寧の野郎に出した条件が、俺との和解だったのは、つまり…そういうことなの?俺って心が狭いかな…?」
「そ、そんなつもりは…私は、凌統さんが可哀想で、何かしてあげられたらと思って…」
「…可哀想?何それ、もしかしなくても、俺のことを言ってるの?」
"可哀想"の一言に、それまでの笑顔が忽然と消えてしまう。
凌統の声が低くなったことに驚き、咲良は息が止まりそうになる。
そして、いけないことを言ってしまったのだと理解し、激しく後悔した。
彼はただ、父親想いなだけだ。
未だに、凌統にとっての甘寧は、許し難き父の仇でしかないのだ。
咲良とて、悠生が同じ目に遭わされたら、絶対に相手を許すことなど出来ないだろう。
何も知らない他人に、可哀想などと言われる筋合いは無い。
哀れまれたところで、死した人間は戻らない。
過去に拘る愚か者と指摘され、惨めになるだけだ。
「違うんです…ごめんなさい…!私が甘寧さんにそうお願いをしたのは、私のせいでお二人の未来が、変わってしまうと思ったから…」
「どういうこと?」
「だって…凌統さんと甘寧さんは、親友になるはずだったのに…私があの場所に居たせいで、進むべき道から脱線させてしまったんです…」
二人は戦を通して互いを認め合い、共に、孫呉のために生きると誓う。
それが、正しき道。
迷わせたのは、咲良という存在。
自分が口添えしただけで、歪んだ軌道を修正出来たとは思えないが、これ以上はどうしたらいいか…、自分に何が出来るかも分からなかった。
「ふう…参ったねぇ…あいつも、こんなふうにあんたを泣かせたのかな」
「え……」
「あんたはもう少し怒った方が良い。何も悪いことをしていないのにさ、どうして自分を責めちゃうんだ?」
凌統の指先が、そっと目尻の涙を拭う。
優しいその仕草と眼差しにどきりとし、咲良は恥ずかしさと困惑とで頬を赤くして、目を伏せた。
「正しい道なんて俺は知らないっての!用意された道をただ進むってのはちょっとね。でも、あんたのせいであいつとさらに険悪になるってことは、絶対に無い」
「……はい」
「だからさ。落涙さん、泣かないで」
泣くなと言われると余計に涙が溢れて、凌統を困らせてしまった。
道はひとつではない。
それは、この世界が無双の中にあるから?
ならば、咲良が見ることとなる結末は…誰かのものなのだろうか?
…自分は今、誰のストーリーを生きているの?
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