清らかな雫



「呂蒙様…」

「ん?どうかされましたかな?」

「あ、あの…その敬語…や、です」

「……、」


突然、初対面の娘にそう言われるとは思わなかったのか、呂蒙は目を丸くして驚いていた。
自分よりもずっと大人の呂蒙に、丁寧な敬語を使われてしまうと…途端に、居心地が悪くなってしまうのだ。


「い、いえ、その…呂蒙様はお父さんのようなイメー…印象があって、それに、私は一般人ですし、敬語を使われるのは…」


どぎまぎして、変に勘ぐられたら嫌だが、挙動不審になってしまうのは仕方がないだろう。
ちらっと彼の表情をうかがえば、呂蒙は困ったような、照れたような表情で顎を撫でていた。


「うむ…、俺はそこまで年を取っている訳ではないのだがな…」

「ご、ごめんなさい…」

「いや、貴女が謝ることはあるまい。では、敬語は止めることにしよう」


渋々ではあるが、呂蒙は微笑し、咲良の我が儘を聞き入れた。
呂蒙にしたら些細なことかもしれないが、咲良は想いが通じたことが嬉しくてたまらなかった。
堪えきれずに小さく笑ったら、呂蒙はまた驚いたような顔をする。

…この人は大丈夫だ、とても優しいから。
何となく、そう思っただけなのだけど。
咲良はまるで父に接するかのように、呂蒙に心を許し始めていた。



―――――



呂蒙に探してもらった本を持ち、書物庫を後にした咲良だが、自室の前に二人の男の姿を見て、ぴたりと足を止めた。


(陸遜様と、凌統…さん?)


壁に背を預け、何やら言葉を交わしている二人が居る。
一人は見慣れた陸遜で、もう一人はすらっとした長身の男、凌統だった。
何をしているのだろうか、その理由を想像するも、答えは出ない。
小心者な咲良が自分から声をかけることも出来ず、暫しその場に立ち尽くしてしまった。


「あ……」


陸遜が、咲良の存在に気付いた。
ばちっと目が合ってしまい、咲良は目線を逸らすことも出来ず、あからさまに狼狽える。
近頃めっきり顔を合わせることが無く、またも気まずい状況に陥るかと思いきや、遅れて咲良の姿を目にした凌統が、ゆっくりと此方に近付いてきた。


「あのさ…俺、あんたに謝りに来たんだ」

「えっ?あ…、あの、とりあえず中でお話しませんか?何のおもてなしも出来ませんが…陸遜様も、どうぞ」

「いえ、結構です。元気な貴女の姿を見たので、私はこれで失礼致します」


元気な姿を確認する…たったそれだけのために、わざわざ足を運んでくれたのか。
緊張する必要も無かったのかと、拍子抜けしてしまう。
凌統ほどの男が女の部屋を訪れるのに、誰かに付き添いを頼むとは思えないため、陸遜は本当に様子を見に来ただけなのかもしれない。

凌統一人を部屋に招きながら、考える。
甘寧に謝罪をされ、それ以降は本気で忘れていたのだが、あの日、あの場に凌統も居たのだ。
自分では、すっかり解決した気でいた。
だが、凌統の中では終わっていなかったのだ。
これまで悩ませていたのかと思うと、どうして気を回すことが出来なかったのかと…申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 

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