暗き夢の中



「らしくないですねえ、軍師殿」

「…すみません」

「あいつがあの娘に気があるからと言って、あの娘がどう受け取るかはまた別ですし……ま、いずれ俺も謝罪しに行かなくちゃなりませんし。どうです?彼女が病棟から移ったら、一緒に会いに行きません?」


どこか含みのある言い方だが、凌統は陸遜に気を使っているのだろう。
彼の心遣いに気が付かないほど、陸遜は愚鈍ではない。
凌統が何を言いたいのかも、本当は分かっている…だが、それは、今すぐに抹消すべき感情だ。

彼女とは、落涙とは…もっと早くに、距離を置くべきだったのかもしれない。
時折、胸に微かな痛みを覚えるのだが、それは彼女を傷付けてしまった罪悪感から生まれたものであろう。
…そう考えれば合点がいく。
無理にでも納得しなければ気が済まなかった。
陸遜は、落涙の発言の全てを信じた訳ではないのだ。
だが、無性に腹立たしかった。
実際に、彼女が誰を慕おうとも関係ないはずなのに、かっとなり、思わず酷いことを言ってしまった。

…あの日交わした、他愛もない約束も。
怪我を負わせた甘寧は落涙に許されたと言うのに、陸遜自身は、友となることさえ否定されてしまったのだ。
落涙が何を思って嘘を付いたのかは分からないが、偽った心を口にした彼女が許せず、勝手に…裏切られた気にでもなったのだろうか?

凌統を交えて話をした時、甘寧が彼女に気のある様子は見受けられなかったし、日に日に耳にする回数が増えた落涙の話題は、根拠も無い噂話が広まっただけなのだろうと思っていた。
…そうであって、ほしいと?

もしも、落涙が嘘を言っていなかったら?
全てが、本当だとしたら?

落涙は涙こそ流さなかったが、とても…思わず目を逸らしたくなるほどに、彼女の心は悲しみに満ちていた。




陸遜は落涙から預かった赤い櫛を手にし、持ち主である小春の私室を訪ねていた。
静かに戸を叩くとすぐに開けられ、侍女に簡単な挨拶をしてから部屋の奥へと足を進める。


「小春殿、失礼致します」

「伯言さま!?珍しい…伯言さまが来てくださるなんて!」


小春は、突然の陸遜の訪問に驚くも、ほんのり頬を赤くして、花のような愛らしい笑顔を浮かべた。
彼女、孫小春は叔父である孫権が、孫家と陸家の友好関係を築くために取り決めた、陸遜の許嫁である。
陸遜より随分と年若い婚約者はまだまだ幼いが、その可愛らしさはさすが、絶世の美女と謳われた大喬の娘と言えよう。
小春を妻に出来る自分はたいそう幸せ者なのだろう、…輝かしい将来を約束されたも同然だ。

誰もが陸遜の立場を欲している。
婚姻など、両者に愛が無くても出来る。
だが、それが当たり前の世であっても、この娘は純粋で…まだ幼き身であるものの、小春は陸遜を愛しているのだ。


 

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