枯れ果てた眼



尚香は鍛錬、小春も用事があるからと、それぞれ咲良の病室を後にした。


「あれ」


ふと、床に目をやったら、小さな巾着が落ちていた。
傷が痛むので、振動を与えないよう慎重に寝台を降り、恐ろしいほどゆっくりと屈む。
緩んだ紐を引っ張れば、簡単に解けてしまい、中身が露わになった。

現れたのは、扇形の櫛だった。
美しい金色の花が描かれている、赤い櫛だ。
尚香か小春が忘れていったものだろうか。


(大変だ、届けなくちゃ…)


此処で待っていれば、落とし物をしたと気付き取りに戻ってくるかもしれないが、忙しい間を抜け出して遊びに来てくれた彼女達の手を煩わせられるものか。

話を聞いてくれそうな女官を捜しに、咲良は部屋の外へと出たが、其処は別世界のようにしんと静まり返っていた。
そう言えば、此処は病棟だったのだ。
このような離れまで、彼女たち姫君に足を運ばせたことを考えると、とても申し訳なくなる。
早く楽師として復帰できるよう、今は怪我を治すことに集中しなくては。

(……、あれ?もう、病棟は抜けたのかな?)


どうして、人に出会わないのだろう。
角を曲がった覚えも無いのだが、振り返れば病棟の白い壁は無く、天井も壁も、装飾が施された高級そうなものに変わっていた。
引き返そうにも、辿ってきた道さえ分からなくなってしまった。
物凄く嫌な予感がして立ち止まったが、咲良はそれ以上、身動きが取れなくなってしまう。

もしこの場所が、身分の高い者だけに立ち入りが許された空間だったら?
迷い込んでしまったのならば、一刻も早く引き返さなくてはならないが、下手に動けばさらに迷いそうで、咲良は廊下の真ん中で立ち往生していた。


「其処の者!女がこのような場所で何をしている!」

「ごっ、ごめんなさい!」


案の定、思った通りの展開だ。
見張りらしき男が二人現れ、一喝された咲良は縮こまってしまった。
ご立腹な様子の見張り達は、ずんずんと咲良の前に立つと、怪我をした肩にこそ触れなかったが、ぎろりと鋭く睨み付けてきた。


「ほう、事故を装い甘寧将軍に近付いた楽師が、お前のように地味な娘子だとは!」

「そ、そんな…それは、さすがに酷いです…どちらかと言えば私は被害者ですし、甘寧さんとは何も…!」

「卑しい女だ。大方、将軍に取り入ろうと来たのだろう?執務室になら入れてもらえるとでも思うたか?」


思ってない、思うわけがないだろう。
此処に執務室があることも知らなかったのだから!
噂は悪い方向に広まっているようだ。
甘寧を慕う同性に妬まれるならまだしも、何故男に恐喝されなくてはならないのか。
言い返す勇気も無く、咲良は怯えるあまりに声も出せず、今にも泣いてしまいそうだった。


「…貴方達、そのお方は私が呼んでいた客人です。解放していただけますか?」

「り、陸遜様!承知致しました!」


陸遜が、助けてくれた?
緊張した様子で、バタバタと走り去っていく見張り達の足音が聞こえなくなった時、咲良やっと顔をあげて、救い主を見た。

どうしてだろうか。
何で、いつもタイミング良く現れては、こうして助け船を出してくれるのだろう。
欲しいときに、望むものをくれる…、陸遜のその優しさが、咲良に重くのし掛かっていた。


 

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