枯れ果てた眼



とんでもない!と咲良は首を横に振った。
まさか本当に、噂が広まっていたとは。
咲良は甘寧を恨めしく思った。
あの人は自ら嘘の噂を言い触らしたりはしないだろうが、きっと、肯定もしなければ否定もしない。

身に覚えが無い話です、と半ばうなだれながら弁明する咲良を見て、二人は難しそうな顔をしていた。


「落涙さま、甘寧将軍はいけません。どうか…どうか考え直してください!」

「小春の言う通りよ!甘寧は将としては一流だけど、女を幸せに出来る男だとは思えないわ」


哀れになるほど酷い言いようだ。
甘寧は彼女達に何かしたのではないか。
尚香はともかく、小春は咲良を説得しようと必死で、大きな瞳を潤ませているのだ。


「あのっ、ですから…甘寧さんと私は何もありません。断言します」

「あら、そうなの。つまらないわ」


尚香は肩を竦め、心底残念そうに言う。
甘寧は駄目だと言っておきながら、どうやら尚香は咲良の恋愛事情が気になって仕方がなかったようだ。
それこそ、好奇心から首を突っ込みたいだけなのかもしれないが、尚香は素直に咲良のことを知ろうとしていたのだろう。
甘寧とは何も無い、と分かってもらえて安堵したのも束の間、尚香は再び咲良に驚くべき問いを投げ掛ける。


「じゃあ、誰か意中の殿方はいるの?」

「え……」


想い人はいるのかという尚香の問いに、ふっと思い浮かんだのは、一人の男の優しげな表情…それでいて切なげな笑みだった。
落涙殿、と丁寧に呼び掛ける声が脳裏によぎる。
他愛もない約束を交わした陸遜、その人のものだ。
意中の人と問われ、どうして彼のことを思ったのかが分からず、咲良は戸惑い、かっと顔が熱くなるのを感じた。


「赤くなっちゃって!可愛いじゃない!」

「そ、そんなこと…尚香様、私の話なんて退屈でしょう!?」

「退屈なはずがないわ。私も小春も、あまり外の生活を知らないから…あなたの"恋"に凄く興味があるの」


軽い口調だが、尚香の言葉は重かった。
胸にずっしりとのし掛かる、この痛みは?
咲良はよく理解していたはずだ。
孫尚香こと孫夫人は同盟のために蜀の劉備と政略結婚させられ、孫策の娘・孫氏は孫家と陸家の和睦のために輿入れする…それが、咲良の知る史実だった。

彼女たちの恋への憧れは、憧れのままで終わる。
姫という存在は、使われる身である。
どれほど自由を望んだとて、いつかは定めを受け入れなければならないのだ。


「面白い話が出来ずに申し訳ないのですが…私、好きな人はいないんです。私は笛が恋人なんですよ」


それで良い。
私は音楽に恋をしていれば良い。
今は、好きな人は作らない。
だって此処は私の世界じゃない、いつか必ず、故郷に…悠生と二人で、帰ることが出来る日がくると信じているから。

…陸遜は、確かに優しい人だ。
泣き虫な楽師にハンカチを差し出してくれる、確かな優しさを知っている。
そして、陸遜と小春が結ばれることが、この世の定めであろう。


「そういうのも、素敵ね」

「落涙さまはご自身の仕事に誇りを持っておられるのですね!」

「えへ…あまり褒められると照れてしまいます…!」


正しき道、はどれも悲しいものだ。
でもこの世界は、無双である。
自分に優しく接してくれた人達が皆、笑っていられる、幸せでいられる道を、見付けてあげられたら良いのに。


 

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