やがて来たる



(そんなこと…、だって陸遜様が小春様を手放すなんて、有り得ないよ…)


有り得ないことが起こる、それが無双という世界だ。
だが、咲良が見てきた世界は、そこまで残酷ではないはずだ。
小春は、孫策の娘だ。
陸遜の未来を照らすために存在する、小さな太陽なのだ。

二人を引き裂こうとするもの…、それは、咲良が触れてはいけないものかもしれない。
勝手に足を踏み入れたら、解決など出来ずに踏み荒らしてしまいかねない。
もし、話してくれたならば。
解決策を導くことは出来ないけれど、痛みを分け合うことは出来る。
それでも、小春なら、進むべき道をこれと定めることが出来るだろう。
咲良が思う以上に、乱世を生きる女性たちの心は、強いのだから。


「幸せだったという記憶が…思い出がある限り、私はずっと幸せです。貂蝉さんと小春様とこうやってお話している時間だって、大事な思い出として、私の中に生きています」


勿論、思い出よりも現実を生きた方が、大きな幸せを感じることが出来るだろう。
だが、別れの後に待つのはきっと、悲しみだけではない。
心に残る思い出が美しければ、ずっと美しいまま輝き続けるはずだ。
楽しかった日々を思い返す度に、幸せな気持ちになれる。
そう、信じていたい。
信じさせてほしい。


「取り乱したりして…お恥ずかしい限りです…落涙さま、貂蝉さま、ありがとうございました」


咲良や貂蝉の話を聞いた小春は何とか落ち着きを取り戻したようで、もう涙を流すことは無かった。
だがやはり、感情に任せて泣き喚いたことが恥ずかしいのか、小春は再び俯いてしまう。
そんな小春に気を遣っているのか、貂蝉はつとめて明るく振る舞った。


「ふふ。では、皆で沢山の思い出を作りましょう…?遠呂智へ贈る子守歌も、いっそ盛大に…、私も精一杯舞わせていただきます」

「貂蝉さんの舞いなら、あの遠呂智だって見とれちゃうかもしれないですね!じゃあ私は…、孫策様に旋律をお聴かせして、少しでも詩を思い出していただかなくては…」


旋律を奏でるには、まだ重大な問題が残っている。
生路は美しい歌だが、歌詞はとても難解なのだ。
今の咲良には、日本語部分しか分からない。
中国語で綴られた詩の半分と、その発音、そして意味…それら全てを理解しなくては、子守歌は完成しないというのだから困ったものだ。


「父上の歌…"ひかるもの"の先に続く言葉を、落涙さまはご存知なのですか…?」

「曖昧で…完璧に記憶している訳じゃないんです。でも、本当に、美しい歌だということは覚えています。きっと弟なら、全てを知っているはずなのですが…」

「……、」


孫策の子守歌が、咲良を親しい仲間たちから引き離すことになる。
きっと小春は複雑な心地なのだろう。
尊敬する父の歌に、咲良が殺されるようなものだ。
だが、笛を奏でなければ孫策らが死んでしまう…、そのことを皆に伝えるつもりはないが、遠呂智を眠らせる子守歌は死の歌ではない、それだけは分かってほしい。

ひかるもの、それは、人々の進むべき道を照らすものについて唄っているのだ。
その人の、生路を抜けるための道しるべ。
孫呉の人々にとっての光が孫策だったように、皆の道を照らす光になりたい。
簡単には、いかないかもしれないけれど。



END

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