懐かしき風景



「咲良、お前、知っているのか?」

「いえ、ちょ…ちょっと待ってください」


悠生は、生路のMAZE、すなわちロングバージョンが久遠劫の旋律だと言っている。
だとすれば、以前小春が思い出したという"ひかるもの"という一節が、生路に存在した日本語の歌詞、つまり生路こそ咲良が捜し求めていた歌だと、確かな証拠を示している。

しかし…、咲良には、生路は唄うことは出来なかった。
勿論、笛で奏でることは可能だが、咲良には、中国語部分の発音と詩の意味が分からないのだ。
歌手が何と唄っているか、音程だけを拾って楽譜を描いていた当時の咲良には、知る必要の無いことだった。


「わ、私には…半分しか演奏出来ません…、旋律は分かるのですが、歌詞と意味が…、曖昧で…」

「半分か…、それじゃあ遠呂智も悪夢を見ちまいそうだな。せっかくなら安眠させてやりてえが…」


孫策は顎髭を撫で、難しそうな顔をし、ううんと唸る。
彼の記憶はさっぱりだし、小春だって…詩の一部分を思い出しただけでも、奇跡のようなものなのだ。


「孫策、君も思い出す努力をしたまえ。何せ君が唄った歌なのだから。貂蝉殿、落涙殿が半分を存じているということは、黄悠殿は、全てを理解しておられるのだろう?」

「きっとそうなのでしょう。私自身、逃亡の最中で悠生様とお会いしたので、詳しく話を聞くことが出来ませんでした」

「なら、黄悠から聞き出すしかねえだろ!!決まりだな。だが咲良、俺と小春にも一度、旋律を聴かせてくれよ。もしかしたら、ふとした瞬間に詩を思い出すかもしれないぜ」


遠呂智の元にある悠生を連れ出す、なんて無謀な考えはさて置き、孫策の提案には周瑜も頷き、同意した。
心の奥底に眠る記憶を呼び起こすなんて、それこそ奇跡を信じるしかないだろう。
物語の終わりは近く、残された時間は無いに等しい。
だが今は…出来ることから始めなければ。


「分かりました。孫権様が無事にお戻りになられた後、皆さんの前で演奏をさせてください。それと、貂蝉さん…実は私が貂蝉さんに初めてお会いした時に奏でた曲が、生路だったんです」

「まあ!でしたら、私は咲良様の音曲に合わせて舞いますわ。あの日の音…よく覚えておりますもの…」

「ありがとうございます!とても、嬉しいです…」


貂蝉の申し出に、咲良は心からの礼を言う。
本来ならば音曲は、舞いや踊りを飾り、盛り立てるためにあるものだ。
それでも貂蝉は、咲良の奏でる音を一番にと考えている。
世界一の美女と称されても不思議ではない、それほどの美貌を持ちながら、彼女は目立って咲き誇ろうとしないのだ。


(だって貂蝉さんは、呂布さんだけのために咲くんだもんね。いままでも、これからも)


今日の戦は、一致団結した孫家・孫策軍の圧勝に終わるのだろう。
そう信じていたからこそ、咲良はいずれ奏でることとなる旋律と、向き合うことが出来たのだが…

物語は既に、咲良の知るものとは異なった展開を見せ始めている。
その先に待つ結末が、いつもハッピーエンドとは限らないのだ。



END

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