深い音の流れ
「孫策さん、お嬢さんは責任を持って俺が連れていきますよ。本陣に残していけば、大喬さんを心配するあまり、こっそり抜け出しかねないのでね」
「そうか!左近、くれぐれも咲良を頼んだぜ。お前たちは後備を守ってくれよな!前線の敵は俺が一掃するからな」
左近の言葉が少しばかり引っ掛かった咲良だが、否定することも出来なかったので、不満は顔には出さないようつとめた。
人の心配を無視して勝手に飛び出していくと言った咲良の短所を、左近は深く理解している。
それほど長い期間と言う訳では無いが、共に旅をしていた左近は咲良の行動パターンを知り尽くしているのだ。
「…そういうことですから、お嬢さん。孫策さんのお願いだ、俺と殿軍(しんがり)でもやってもらいましょうかね。勿論、その笛は吹かせませんよ?あんたは皆に着いていくことだけ考えてください」
「は、はい……」
「ただでさえ、あんたの存在が敵に知れているんです。好き好んで居場所を教えるつもりは無いんでしょ?」
当たり前だ、しかし、そう断言出来る立場でもない。
現に咲良の不注意のせいで、自分自身の命が危うくなっているのだから。
孫策があえてしんがりにと命じたのは、大喬のためにと猛攻する自分が、全ての敵をなぎ払うことが出来る自信があったからだろう。
だが、左近はあまり良い顔をしていないようにも見える。
孫策の自信過剰とも言えるその対応が、左近にとっては危うい判断としか受け取れなかったようだ。
そう、地の利は敵にある。
咲良はゲームの細かな展開など覚えてもいなかったが、まさか左近の嫌な予感がこうも的確に当たってしまうとは思ってもいなかった。
「っ…はあ…、苦しい…!」
ぐちゃぐちゃと浅い川の中を駆け抜けて、咲良は息を乱しながらも必死に足を進めた。
こんな状況で、羽衣を使って飛ぶ訳にもいかず、本当に、左近に着いていくだけで精一杯だ。
皆は決死の覚悟で敵と戦っているというのに。
間違っても尚香や稲姫のような姫武者の真似は出来ない、そもそもそんな柄ではない、と咲良はわざわざ後ろ向きなことを考える。
今更そのようなことで悩む必要も無いのかもしれないが、やはり皆に迷惑はかけたくないのだ。
余計な考え事に頭を使っていたためか、左近が急に足を止めたことに激しく驚いてしまった咲良は、そのまま前のめりに転びそうになる。
ひやりとした咲良だったが何とか立て直し、ひとまず呼吸を落ち着かせようと肩で息をした。
「さ、左近さん…?」
「…遠呂智軍の軍師は司馬懿とか言いましたね。こちらが妬いてしまうぐらい頭が切れるようだ」
左近は難しそうに顔をしかめ、今まで駆け抜けてきた道を振り返る。
姉川の地形を熟知する敵軍は、初めからその高低差を生かし、優位に進軍するつもりだったのだろう。
急流に乗った遠呂智軍の伏兵が、いつの間にか目に見えるところまでに迫っていたのだ。
その数は数百を越えているようにも見え、信じられない光景に恐怖を覚えた咲良は、慌てて左近に向き直る。
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