清き者の断罪
それは、翌朝のことであった。
孫策軍の居所を突き止めたとある軍団の使者が、主の言伝を預かっていると、孫策に謁見を求めてきた。
勿論、すぐに孫策と面会させる訳にもいかず、周瑜や左近が応じたが、使者から受け取った書状の差出人は、あの徳川家康だったのである。
左近は家康の養女である稲姫に書状を見せ、筆跡や印が間違い無く家康のものであることを確認させた。
長々と綴られた達筆な書面は、穏やかな男の性格が凝縮されたかようにも感じる。
徳川家康は服部半蔵ら家臣を連れ、孫策に従って遠呂智軍から離反したが、今日まで別行動を取っていた。
その家康からの書状…、周瑜に日ノ本の文字が読めるはずもなく、稲姫が代わって書状を読み上げる。
そこには二つの大きな報が記されていた。
「孫策様の奥方様…大喬様が遠呂智軍より脱走を企てるも失敗、捕縛され姉川の地にて明日にも処断される模様…!殿は、孫策様と共に、大喬様をお救いしたいと仰られております」
稲姫は少々言いにくそうではあったが、家康の言葉をはっきりと皆へと伝えた。
遠呂智軍から脱走するなど、大喬がそのような無茶を働くとは誰もが信じなかっただろう。
しかし、それほどに彼女は追い詰められていたのではないかと、推測が出来るはずだ。
大喬の処断が決行されると聞き、最も衝撃を受けたのは、やはり孫策であった。
孫策は唇を戦慄かせ、今にも武器を手に飛び出していきそうだったが、周瑜と蘭丸に止められてしまう。
「止めるなっ!俺の大喬が処断されるって聞いて黙ってらんねぇだろうが!」
「待ちたまえ孫策。家康殿は共に義姉上をお救いしたいと申し出てくれたのだぞ?そのお心を無碍にするつもりか?君が一人で行けば、呆気なく自滅するだろう」
「孫策様、ならば蘭もお供致します。お一人で奥方様を救出しようなどと、考えてはなりません」
「……ああ、そうだな。悪かった。皆、頼む!俺に力を貸してくれ!」
信頼する仲間達に諭されたことで、孫策は漸く冷静さを取り戻したようだった。
浮かべられた清々しい微笑みが、皆の心を一つにする。
これから、敵の手に落ちた大喬を救いに行く。
異議を唱える者など居るはずがない。
話が一段落すると、稲姫は書状の続きを読み始めるが、それは大喬の件と同じく衝撃的な内容であった。
稲姫は見る見るうちに顔を強ばらせ、らしくなく、不安げな色を瞳に浮かべ、そのまま咲良を見た。
そう、落涙に対して、困惑した視線を向けるのだ。
「遠呂智軍内では…、落涙様が孫策様の軍に身を寄せていることが、既に広まっていると…此処には書かれております」
「なんだって!?おい、それじゃあ…」
それまで蚊帳の外だった咲良は、稲姫の口から発せられた事実を聞き、心臓が鷲掴まれるほどに驚いた。
妲己がなりふり構わず追いかけてきた奏者の存在が、落涙の居所が、既に敵に知られている。
最も危惧していたことが現実となってしまった。
やはり、関ヶ原で笛を奏でたことが、仇となってしまったのか。
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