清き者の断罪



「では、落涙を捕らえてご覧にいれましょう。落涙は私の兄・孫策の軍に加わっております」


ぐっと、喉が鳴った。
関ヶ原にて落涙の姿を目撃した者は少なくなかった。
だが、孫策に救いを求め彼に従っているであろう落涙を敵に売るなど…孫権の覚悟を決めた発言に、周泰はらしくなく、肩を震わせてしまった。
意見など、出来るはずがない。
命令ならば、従う、どんな汚いことでも成し遂げる…それが己だ。

前々から妲己は執拗に落涙を求めていた。
その理由は語られなかったが、妲己は落涙を疎ましく思っていたのは明らかだ。

孫呉の民も将も、楽師・落涙を愛している。
危害を加えられると分かっていて、わざわざ告げ口をする者は居ない。
だが孫権は、自ら落涙を差し出した。
孫呉のためならばと、孫呉は己の養女となった娘を生け贄とするつもりなのだ。


「へえ、知ってて今まで黙ってたんだ?でも本当にそんなことして良いの?大事な人なんでしょう?」

「これも孫呉のため。少々の犠牲は致し方ないでしょう」

「周泰さん、あなたも同じなの?可愛い奥さんを見殺しにするっての?」


稀代の悪女はにやりと笑み、長い舌でいやらしく唇を舐めた。
動揺を顔に出さない周泰を挑発するのだ。
孫権が、視線だけで訴える。
お前は孫呉の将だ、そのことを決して忘れるな…と。


「…定め…ならば…」

「あはは!落涙さんも哀れね、夫に捨てられて、国にも見放されちゃった!そして私の手で魂ごと消滅されて、二度と生まれ変わることが出来ないんだから!」


何故、落涙だけがこのような悲惨な目に遭わねばならないのだろうか。
慕っている女を幸せにも出来ないまま、死を押し付けることしか出来ない。
周泰の目は血走り、怒りと悔恨でがたがたと震えが止まらなくなった。
隣に孫権が居なければ、早々に理性を失い、妲己に斬りかかっていたことだろう。
孫呉の将ではなく、一人の男として無様に死ぬところであった。


「じゃあ、私は小田原城で静養するから邪魔をしないでね。取り敢えず、大喬さんは捕らえたら処断ね。あとのことは諸葛亮さんに全部任せてあるわ。落涙さんの捕縛、期待してるわよ、孫権さん」

「…はっ!必ずや…」


落涙か、それとも国か。
たった一人の女を守れぬようで、民が守れるものか。
だが裏を返せば、たった一人の犠牲で多くの命が救われる、どちらを選ぶが賢いか、考えるまでもない。
たまたま、その一人が周泰の妻であった。
受け入れねばならない、過酷な現実。


(…俺は…孫権様を裏切れない…)


周泰は無意識に荒れ始めた息をどうにか殺し、低く唸った。
孫権の存在は絶対だ。
主に負い目を感じさせる訳にはいかない。
…ならばいっそ、この手で。
妲己にみすみす魂を壊されるぐらいなら、夫の最後の役目として、愛する女の命を縮めるべきではないか。


(…そして…俺も…)


周泰はついに、己の誇りを汚した。
主である孫権のために生き、この命を使い切る、その誓いを自ら破ろうとしている。
それが、落涙へのせめてもの救いになると、信じるしかなかったのだ。


 

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