清き者の断罪
遠くに、笛の音を聞いたような気がした。
血生臭い戦場にありながら、乱世を忘れさせる、悲しくも美しき旋律を。
いつしかそれは確信に変わり、周泰にはその音が愛しい人の奏でるものだということが分かったのだ。
「周泰、着いてきてくれるか…この、不本意な戦に…」
「…地獄までも…従う覚悟なれば…」
遠呂智の光臨により世界は混沌に陥り、国は乱れ、多くの民が死んだ。
周泰は片時も、孫権の傍を離れることはなかった。
たとえ、主の選んだ道が孫呉の破滅を招くものだったとしても、厭わない。
命を懸けて守ると、心に決めていた。
…最愛の人も、それを望んでいたはずだった。
「もうっ!信長さんのせいで散々だったわ!長篠の戦いは官渡の兵力を削ぐためだったなんて…!でも、孫権さんの頑張りは合格以上よ。孫策さんの尻拭いのため、無理したんじゃない?」
「いえ。孫呉の力を持って、これぐらいは当然の結果でしょう。兄は裏切り者ゆえ、最早家族の縁など皆無」
「頼もしーい!私には孫権さんだけよ!」
一見して何も考えていなそうなこの古の妖女が、孫呉の命運を握っているとは。
孫権は孫呉を復興させることを願っているが、妲己の監視と脅迫により、阻まれ続けていた。
妲己の命により、孫権は長篠にて武田・上杉連合軍と対峙、想定外の騎馬隊に一時は押し返されるも、見事勝利を収めた。
しかし、帰陣してみれば、この勝利は圧倒的な勢力を持つ反乱軍・織田信長が仕組んだものであったことを知る。
「孫策さんのことは許してあげる。でも、大喬さんの逃亡の件に関しては、これからの頑張り次第かな?」
「義姉上が自らの意思で逃げるなど…」
「でも、現に大喬さんは私の好意を無碍にしたのよ!せっかく娘を返してあげたのに、これ見よがしに脱走するなんて!孫権さん、どう落とし前付けてくれるの?」
妲己があからさまな殺意を向けたため、傍に控えていた周泰は刀に手をかけたが、孫権に止められてしまった。
孫策の妻・大喬の逃亡…、その事実は、孫権の心を大いに狂わせた。
お転婆な小喬ならともかく、聡く淑やかな大喬がそのような暴挙に出るとは到底思えなかった。
人質にされていた孫策の娘・小春の解放により、大喬は省みるものが無くなったから、と妲己は言う。
きっと、大喬の意思では、ない。
ならば、家臣達が孫策を頼り、決死の覚悟で大喬を連れ出したのだろう。
孫呉を背負い立つ孫権よりも、自由に生きる孫策を選んだのだ。
孫権は次の言葉を必死に考え、暫し目を伏せていたが、思い立ったように顔を上げ、妲己を睨み返した。
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