凍てつく枷



「おっと、大喬さんのお出ましのようだ。雑魚の数が多い…面倒だ、力強くでいかせてもらいますよ」

「さ、左近さん!」

「話をしたいんでしょ?お嬢さんは身を隠してくださいよ。落涙を匿っていると知れたら、孫策さんは更に立場を悪くする」


華麗に鉄扇を操る大喬を見付けるも、その悲痛そうな表情は遠目で見ても分かった。
彼女が相手をしているのは孫策軍の兵であり、身内なのだ。
だが手を抜けば、妲己に罰を与えられる…、孫呉を、国を思う気持ちは皆同じだ。
大喬の舞いは、戦う姿は、悲しみに満ちていた。


(大喬様を傷つけたくない…でも、左近さんだって命懸けで私を連れてきてくれたんだよ。相手が大切な人だから戦いたくないなんて我が儘…言っちゃいけないのに…)


もう十分すぎるほど、大喬はずっと苦しんできた。
孫策が死に、未亡人となっても、彼女は孫策の菩提を弔い続けていたではないか。
そんな健気な女性が、愛する人が率いる軍勢と争わなければならない現実なんて…、これより先の不幸を、見ていたくない。


「私は…確かに偽善者です。目の前の大切な人を守れれば満足なんです。だから、他の人は…後のことはどうなったって構わないんです」

「なら何で伏犠さんの頼みを断らなかった?そういうことじゃないんですよ…、俺が言いたいのは…」

「もう良いです…ごめんなさい…!」


いつか、この世界から出ていかねばならない。
それは、今となっては死を与えられるに等しいことだ。
だが、人間達の身を案じていた女禍や伏犠のことを思えば、戦いが嫌だなんて言えるはずがなかった。
ならば、今は笛を吹かせてほしい。
死が迫りつつあると分かっているのならば、黙っている必要など無い。


「っ……お嬢さん!」


左近の声を背に受けるが、振り返ることも出来ない。
咲良のためを思い、ずっと傍に居てくれた人。
結果的に咲良の自分勝手な行動は、左近の気持ちを裏切ることとなってしまった。

地を蹴り、咲良は羽衣を広げてふわりと宙に舞う。
脇目もふらず一目散に空を飛べば、何一つの障害も無く、大喬の近くまで来ることが出来た。
その距離はほんの僅かだが、大喬はまだ咲良の存在に気付いていない。

咲良は笛の歌口に唇を当てると、息を吹き込んだ。
何の準備も無しに音曲を奏でるなんて、奏者としてあってはならないことだが、こんな状況だ、そうも言っていられない。


「…この旋律は…?落涙…さま…?」


耳に飛び込んできた笛の音に反応し、大喬はぴたりと攻撃を止める。
空を見上げ、黒い瞳に咲良を映した。
楽師と信じていた娘が宙に浮いている…、それだけでも衝撃的だったことだろう。

複雑な想いであれ、咲良はひたすら笛を奏で続けた。
しかし、大喬に向けて力を使うつもりはない。
大喬の周りを固める親衛隊達に限定し、咲良は静かな子守歌を聴かせていた。
しかし、思いもしないところで旋律が揺らぐ。
音程が下がり、笛を持つ手も震え始めた。
鉛を背負わされたかのように、体が重い。
これでは、演奏を続けられない…!
たったひとりだけを回避する、それは相当神経を使う技だったようだ。


「お嬢さん、やめるんだ!…咲良…!」


左近に名を呼ばれた、
意外にも、本名を呼ばれるのはこれが初めてだった。
びくりと肩が跳ね、咲良は我に返る。
旋律が中途半端に終わりを迎えた。
左近の叫びにより、咲良は漸く、眠りに落ちた兵士達が地に伏せる姿を確認した。

すると今度は、体全身が鈍い痛みに襲われ、力が入らなくなってしまう。
一気に押し寄せる疲労のせいで浮いていることも出来なかった咲良は、ゆっくりと地に降下する。
下で左近が受け止めてくれたため、咲良は間近で彼の怒りの表情を見ることとなってしまった。
こうなることが分かっていたから、左近は必死になって止めたのだ。
お怒りはごもっとも、咲良に反論は許されない。


 

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