荒れ狂う魂
――どうして?
貂蝉さんは、居なくなってしまったの?
答えが出るはずもない、咲良の疑問は、蘭華を困らせるだけだった。
いくら悲しみを嘆いても、貂蝉は帰らない…全ては現実なのだと、認めざるを得なかった。
(…貂蝉さん…)
ここ数日で、咲良の口から漏れた溜め息の数と流した涙の量は世界記録に匹敵するかもしれない。
女同士、腹を割って話したあの時、咲良は確かに貂蝉と親友になれたと思ったのだ。
なのに、貂蝉は忽然と消えてしまった。
寂しいが、この想いを裏切られたとは思いたくない。
何か理由があって、それはとても大切なことで、貂蝉は自ら出て行くことを選んだのだ。
でなければ、あれほど愛おしげに見つめていた呂布の形見を、残していくはずがない。
(私にこれを預けたんでしょう?そうだよね?また会えるんだよね、貂蝉さん…)
貂蝉が黙って姿を消したことを知り、激しくショックを受けた咲良は、ぼろぼろと涙が止まらず、その日は舞台にも立てなかった。
物言わぬ呂布の遺骨を前に、咲良は泣きながら、貂蝉の名を呼び続けた。
どうにか立ち直ることが出来たのは、蘭華から、「閉月が戻る日までその首飾りを守りなさい」という役目を与えられたからだ。
(ずっと、信じているから…。だって、私達は友達だもん。だから、きっと大丈夫!)
咲良はぐっとこぶしを握り締めた。
こうも泣いてばかりでは、幸せも逃げていってしまう。
今日は気持ちを引き締めて演奏をして、常連さん達に元気な顔を見せなくては!
昼の休憩時間を利用して、咲良は多種多様な衣服を取り扱っている、小さな店を訪れていた。
以前この店の前を通りかかった際、咲良の目に止まったのは、色鮮やかな衣装より、合わせて販売していた布生地の方だった。
他国から輸入されていると言う、つやつやとして見た目も美しく、触り心地も良い絹などはやはり値が張る。
咲良は店主に、手頃な値段で購入出来る布があったら取り寄せてほしい、とお願いしておいたのだ。
服屋の店主は、落涙を知る蘭華の店の常連客の一人だったらしい。
咲良のお願いを快く聞き入れてくれた。
「わあ…綺麗な布ですね!でも、本当にこの値段で宜しいんでしょうか…」
「良いんだよ、落涙ちゃんは俺達の憧れだからね!今日も、素晴らしい演奏を楽しみにしているよ」
「はいっ!ありがとうございます!」
落涙の音が好きだと言う店主の好意で、良い布を安く購入することが出来た。
巻物のように筒状になった布を左腕で抱き、咲良は店主に頭を下げ店を後にした。
咲良欲しかったものはガーゼである。
フルートの管の中を掃除するために必要なのだが、ケースに入れておいたガーゼは使いきってしまい、これでは溜まった汚れを放置することになり、そのままにしておくのは楽器にも宜しくない。
高級な布が欲しいわけではないから、雑巾のようなものでなければ何でも良かったのだが、これだけ柔らかい布ならばフルートを磨くのにも使えそうだ。
(グリスは大切に使わなくちゃ…手に入るとは思えないし…代わりになるものがあれば良いんだけど)
フルートが壊れてしまえば、咲良は職を失ってしまう。
以前、この国の笛を触らせてもらう機会があったのだが…、当然のように、運指が違った。
それぐらいならなんとかなるが、愛用しているフルートのように美しい音色を奏でられる自信がない。
だからこそ、繊細な相棒に愛想を尽かされないよう、大切に扱わなくてはならないのだ。
いつも、肌身離さず傍に置いておきたい。
右手に持ったフルートのケースの重みを確認し、咲良はひとりで笑った。
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