親愛なる唄い手
「やれやれ、漸くお話はまとまったようですね。じゃ、俺もあんたらの軍に加えてもらい…と言いたいところですが、お嬢さんが敵に狙われているのなら、俺はお嬢さんを連れて一足先に目的地へ向かうとしましょうか。ま、単刀直入に言うと、大虎さんは大坂城の檻の中って訳だ。大坂湾で落ち合うってのはどうです?」
「大坂城に親父が…、よし、俺が必ず救ってみせる!左近、咲良を頼んだぜ!」
「ええ。では早速…お嬢さん、立てますかい?」
先を急ぐ左近に促され、何度も頷いた咲良は服の袖でごしごしと涙を拭った。
孫堅が捕らえられし牢獄、向かう先は大坂城である。
「あっ…あの、孫策様!ひとつ、お聞きしたいことがあったのですが…以前、孫策様が小春様へ子守歌をお聴かせになられたそうですが、その旋律を私に教えていただけないでしょうか?」
「子守歌ぁ?俺が小春に…、あいつ、そう言ったのか?」
「え、覚えていらっしゃらないのですか…?あ!じゃあこの笛のことは…」
「知らねえな。俺はもともとそういうのは苦手なんだよなぁ…」
周瑜が孫策から預かったという笛を見せてみたが、孫策は覚えが無いと断言し、首を捻る。
これには周瑜も驚きを隠せなかったようだ。
この世に蘇った孫策の記憶は…曖昧にしか残っていなかったらしい。
「どうしよう…実は、その子守歌じゃなきゃ、遠呂智を眠らせられないみたいなんです…」
「何だって!?本当かよ!?」
孫策も周瑜もぎょっとし、互いに顔を見合わせる。
詩や音楽に慣れ親しんでいる周瑜なら兎も角も、見るからに武道派である孫策が、音曲に通じているとは誰も思うはずがない。
しかし…孫策の前世は、子守歌を唯一知る仙人であった。
孫策は生まれ変わっても歌を覚えていて、それを赤子の小春に唄い聴かせたという。
では、孫策の命の灯火が消えた時、運悪く旋律の記憶だけが抜け落ちてしまったのだろうか。
歌について教えてくれようとした悠生の手紙は半端な書きかけであったし、こうなると、旋律を授かるための手段は孫策しか無いと思っていたのだが…
「何だって俺がそんな歌を…、悪いな、記憶が曖昧なんだ。赤ん坊だった小春も覚えていないだろうしなあ…」
「い、いえ…、ごめんなさい…無理を言ってしまいました」
「まあ良いだろ、どうにかなるさ。思い出したら、いくらでも唄って聴かせてやるぜ!」
孫策の満面の笑みを見ていると、咲良を悩ませてい難題も、何故だかどうでも良いことのように思えてくる。
この性格は生まれ持った才能なのだろう…、引っ込み思案な咲良には羨ましく思え、彼の笑顔はまばゆいほどに輝いて見えた。
END
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