親愛なる唄い手



名を呼ばれたからと、此処で素直に出て行っては、呆れられるだけでは済まないだろう。
しかし、このままにはしておけない。
あまり騒ぎ立てれば、別のところで反乱軍と抗戦している蘭丸が、凌統を見つけてしまうかもしれない。

咲良はまず、護衛兵達に謝罪の意を込め頭を下げて、櫓から身を乗り出した。
ひらひらと風に流れる羽衣が晴天の空の下に煌めいている。


「凌統さん!お久しぶりですね…こんな形で再会するのは、ちょっと悲しいですが…」

「落涙さん!?はあ…たまげたよ。あんた、前々から変わっているとは思っていたけど…天女だったのかい?」

「い、いえ…、凌統さん…お願いです、退いてください。私、凌統さんとは戦いたくないんです!」


ふわふわと宙に漂ったまま、咲良は驚いた顔をする凌統を上から見下ろした。
副将も兵卒も退いた現状で、凌統がいくら優秀な将であれ、考えずとも、勝ち目は無いに等しい。
だが凌統は首を横に振り、にこやかに笑って見せた。
この状況で…、左近の兵達が(威嚇のためであり、仕留める気は無いだろうが)、周りを取り囲んで弓を向けていると言うのに。


「俺は、孫策様と戦えて楽しかったんだけどね。今も、あんたに会えて心から嬉しい。敵と味方、離れてしまったけど俺達は皆、孫呉の一部だ」

「凌統さん…」

「落涙さんなら分かるんじゃない?以前、俺を可哀想と言ってしまって、あんた自分を責めて泣いただろ?俺はあの時、面白い娘だなと思ったんだよ。そしてさ、あんたの願いなら、死ぬほど嫌いだった甘寧と仲良くしても良いかなと思えるぐらいに、俺は落涙さんを気に入っていたんだ」


にやっと笑う凌統に、咲良はかっと顔を赤くさせる。
褒められるのにも、慣れていないのだ。
孫呉の一部、と凌統は言った。
その中には、当たり前のように落涙も含まれている。
きっと凌統も、落涙のことを、大事な友と思ってくれているのだろう。
確かめなくても、言葉にしなくても分かる…友情とはそういうものだと、咲良は陸遜に教えられたのだ。


「だけど、落涙さんはもう誰かのものになった…別に、俺は構わないけど。あんたが幸せなら、それが一番だ」

「孫呉に居場所を与えられた私は、誰よりも恵まれています。更なる幸せを望んだら、ばちが当たってしまいます」

「俺が言うのも難だけどさ…落涙さんこそ可哀想な人じゃないか。哀れだよ、乱世に生きる女ってのは。知ってたかい?甘寧と居る時のあんたは、今よりもっと、幸せそうに笑っていたぜ」


哀れだと、凌統はそんなことを口にしたのだ。
ずくりと胸を刺す、強烈な本音だった。
今の貴女は無理をしている、鋭い指摘を受け、咲良は何も返すことが出来なかった。
自分のことなのだから、分からないはずがない。

そして、凌統は初めて咲良に背を見せた。
兵達はあえて追い立てることはせず、堂々と撤退する凌統の姿が見えなくなるまで、ずっと弓を構えていた。
砦の中から盛大な爆音が聞こえたのは、それから間もなくしてからだった。


 

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