親愛なる唄い手



くすんだ空の色を映し出す広い琵琶湖を見据えていた。
咲良が記憶する限り、その大きな湖の周囲には数多くの城がそびえていたはずだが、今では散り散りとなってしまっている。

そんな琵琶湖から少し離れた場所に取り残されていたのは、遠い山に築かれた日本の城…、浅井長政の小谷城である。
孫策と書状のやり取りをしていた左近は、この小谷城下で彼らと落ち合うことを決めていたようだ。
旅の中で左近が得たという"孫堅の居場所"についての情報は、孫策を遠呂智軍から離反させる決定打となるだろう。


「沢山の人の声が聞こえますね…」

「恐らく孫策さんが暴れまわっているんでしょうな。全く…おちおち話し合いも出来やしない…」


あちこちで白い煙が立ち上り、風に乗って激しい戦闘の音が聞こえてくる。
此処でもまた、悲しい戦が起きている。
仲間のため、妲己に逆らうことが出来ない孫策軍、誇りを守ろうと、必死に抵抗する反乱軍…、どちらも生粋の悪では無いのに、争わねばならないのだ。
左近もやれやれと呆れながら溜め息を漏らすが、一先ず待ち合わせの場所へと向かうことにした。



戦場となった小谷城下へ足を踏み入れた途端、咲良は動悸が激しくなり、胸を押さえた。
じっと見ていることは出来なくて、思わず目を背けてしまいたくなる、未だ慣れることの無い乱世の現状。
小谷の城下町は思ったよりひっそりとしていて、恐らく孫策軍が付近の敵を一掃したのだろう。
しかし、戦の名残が…、遺体こそ見かけなかったが、散らばる矢や刀の破片、おびただしい量の血痕を目にし、咲良は顔をしかめる。

するとその時、物陰で控えていた使い番と…見覚えのある細身の男が左近の前に姿を現した。
血の匂いに酔っていた咲良も、その人の美しさにはっと息を呑んだ。
身の丈に似合わぬ太刀を背に、凛とした瞳を向ける…信長の小姓、森蘭丸だった。


「ほほう、意外なお出迎えだ。すみませんねえ、ちょいと遅れちまいました」

「お待ちしておりました。孫策様からの言伝を預かっております。城を落とさねば仲間を解放することが出来ぬゆえ、少々お待たせすることになりますが、潰し合いを避ける為とご理解いただきたい所存です」

「敵の被害を最小限に抑えての勝利…ってとこですか。迅速に戦を終わらせなければ話になりませんね」


孫策を見極めるためにと、蘭丸は敬愛する信長の元を離れ、孫策の傍らで戦っている。
か弱く見えても蘭丸の武は本物だ、たった数名で、城下町に潜伏する反乱軍を追い返してしまったのだから。
だが、城下町の敵を片付けるためにと、それだけでもかなりの犠牲者が出ている。
孫策が案じたような、お互いに護るべき何かのために戦う者達の潰し合いが、いかに恐ろしいか。
それでも、戦で失われるものは数多いが、少なからず得られるものもあるはずだ。


「じゃあ早速、左近の軍略、披露するとしましょ?蘭丸さん、着いて来てくれますかね?」

「勿論です。そう孫策様から仰せつかっておりました」

「なら話は早い。このお嬢さんの護衛をしながら、山田山砦まで同行していただきたいんですけどね、宜しいですか?」


左近に促され、初めて視界に入れたかのように咲良を見た蘭丸は、驚きがその顔にありありと現れていた。
女が何故…とは思っていないだろうが、武器も持たずに戦場に立っていることに違和感を抱くのは当然かもしれない。


「そちらの御方は、いったい…?」

「孫策さんへの書状へも書いた通り、この風変わりなお嬢さんは信長さんからの大事な預かりものですよ」

「それは失礼致しました。蘭が命に代えてもお守りしましょう」


左近が信長の名を出した途端に、蘭丸の困惑は綺麗に消えたらしく、うやうやしく咲良に頭を下げるのだ。
緊張に唇を震わせた咲良は、宜しくお願いしますと口にして、真っ赤になって俯いた。
場を弁えろと自分に言い聞かせるが、性分だから致し方ない。
…可愛い人には、めっぽう弱いのである。


 

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