遠き地の憩い



「咲良殿、怪我は無いようですね?危ない目に逢わせてしまいましたね」

「私のことは大丈夫です!光秀様も…ご無事で良かったです」

「…ありがとう。そう言っていただけると私も、嬉しいですよ」


すっと、光秀は咲良の頭を撫でようと思ったのか、手を伸ばしたが、ふと我に返ったらしくすんでのところで引っ込めた。
驚いた咲良だが、光秀が何故か恥ずかしそうに顔を背けたので、彼にしては意外な姿を見たような気がした。


「明日の出発も朝早くとなるでしょう。疲れが残らないように休みなさい」

「はい。お休みなさい」


光秀の笑みは、彼の人柄を表すかのように柔らかい。
その優しげな瞳も、物言いも、まるで本当の父親のように感じられて、少し懐かしいような、同時に一抹の寂しさも感じる。

光秀が去り、関平も他の将兵らと話を始めたため、一人になった咲良は静かにその場を離れた。
眠る必要が無い咲良だが、寝たふりでもしなければ皆に不審がられてしまう。
しかし、織田軍には咲良以外の女性の姿が無いため、いくら信頼の置ける人々であっても、独りきりで眠ったふりをするのは不安だったのだ。

避難した子供の寝床に混ぜてもらおうかと思ったが、その前に…湯浴みをしたい。
贅沢な望みとは分かっているが、思えば、孫呉を旅立ってから一度も水を浴びていないのだ。
髪もごわごわしているし、…汗臭いような気がするし、これ以上は堪えられそうになかった。


(ちょっとだけ井戸水をもらえないかな…、無理ならこの際、川で水浴びを…)


寺の者に願い出てどうにか手ぬぐいを拝借するも、それ以上は望めそうにない。
こっそりと本堂を抜け出し、咲良は闇夜の中、水を求めて歩き回った。
暫く捜し回れば井戸を見つけたが…人目のあるところで水浴びをする勇気は無い。

仕方なく、咲良は善光寺の外へ出て、近くを流れる川へ行こうと決めた。
光秀だけには許可を取っておこうかとも思ったが、こんなときに水浴びかと呆れられても嫌なので、心苦しいが黙って出掛けることにした。
見張りが立つ正門から出ていくのではなく、人気の無い本堂の裏手に向かい、高い塀を飛び越える。
秋の月明かりに羽衣が美しく煌いていた。


(やっぱり夜は寒いなぁ…服も洗いたいけど、乾かす暇なんて無いし…取りあえず早く済ませなきゃ)


目の前に広がる、川の流れは思ったよりも穏やかだった。
咲良は地面の石を避けて平らにし、笛を安全な場所に置くと、川辺をのぞき込み、水の中にゆっくりと手を入れた。
…水浴びをするには冷たすぎるかもしれないが、時間が無いのだから寒さは我慢しなければならない。

まずは履き物を脱ぎ、裸足になる。
いきなり飛び込んでは心臓に悪いので、咲良は素足のまま川に入った。
ちゃぷん、と水が跳ねる。
川底の小石は丸っこく、足を切って怪我をする心配もない。
肌を刺すような冷たさだが、汗や埃が流れることが心地よかった。


 

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