夜のまやかし



「あ、あの、尚香様…、申し訳ないのですが、これ、甘寧さんに返していただけませんか?」

「返しちゃって良いの?でも、どうして?」

「私が持っていたらいけないような気がするんです。だって私は…周泰さんの……、」


妻なのだからと、自信を持って断言出来ないのが情けない。
周泰の妻として、ゆっくりと過ごす時間を全く与えられなかったのだ、簡単に自覚出来るはずがなかった。

甘寧の鈴は、見た目が可愛いからお気に入りだったし、彼の気持ちを思えば、手放すのは申し訳なくなるが…意を決した。
甘寧の存在を感じさせるようなものを持っているから、こうしていつまでも、うじうじと悩んでしまうのだ。
いっそ、この機会に彼への未練をきっぱりと断ち切るべきだ。


「落涙…あなた、本当にそれで良いの?私は信じていなかったけど、周泰との婚姻が決まるずっと前に、あなたと甘寧の噂が流れていたことがあったじゃない?あれは…事実だったんじゃないの?」

「それは…昔のことです。もう、良いんです」

「……、駄目よ、やっぱりあなたが返しなさい。私が甘寧の気持ちをどうこうする権利は無いもの」


女は、我が儘を言ってはいけない生き者だ。
本人の意思を無視した政略結婚を経験した尚香に、咲良の気持ちが分からないはずはない。
尚香は親子ほど年の離れた劉備を愛した。
だが結局は、男達の勝手な都合により、いとも簡単に引き離されてしまった。

咲良だって似たようなものではないか。
誰のせいにも出来ないけれど、お陰で心はぐちゃぐちゃだ。
…何が悲しいのだ、誰が可哀想なのだ。
それを当たり前としてしまった、この時代だろう。


「…そ、そうですね、無理を言いました。では、あの…出来れば周泰さんに…私のことは心配ありませんって、伝えていただきたいです」

「…良いわ。きっと、周泰に伝えておくわね」


そう言って、尚香はにっこりと微笑む。
これで良いのだ、何も間違ってはいない。
どんなに過酷な運命を突きつけられても、まだ、咲良は自然な笑みを浮かべることが出来ていた。


(私は大丈夫だから。だから、幼平様は…孫権様のお傍にいてあげて…)


周泰の気持ちは、確かなものだと思える。
くすぐったいほどに愛されていても、彼が最後に選ぶのは孫権なのだろう。
少し寂しいけど、それで良い。
そうでなければ、周泰のことを嫌いになってしまいそうだ。


(だけど…私が思うよりは少なくて良いから、私のことを考えてね…)


どうやら、悠長に話しすぎてしまったらしい。
尚香は最後に大きく手を振って、遠ざかっていく遠呂智軍の中へと戻っていった。
手を振り返したら、咲良の手に握られたままの鈴が、ちりんと鳴る。
聞き慣れた音のはずなのに、とても…、心の奥底から切なさが沸き上がってくるような、儚い響きだった。



END

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