夜のまやかし



「クク…、サル、全員釈放せよ」

「ははぁっ!有り難き御言葉!」


それを寛大な処置とは言えども、秀吉以外の家臣達は首を傾げ、訝しげに眉をひそめた。
皆、同じような疑問を持ったのだろう。
捕虜も取らず、戦力も増えずに疲弊しただけで、これでは何の意味も無かったのではないかと。

このまま墜ちるか、抗うか。
縄を解かれた尚香達も、信長の意図や複雑な考えが理解出来ず、暫し呆けていた。
遠呂智兵が次々と撤退を開始するが、彼女だけはすぐさま背を向けたりしなかった。
今は敵対関係にあるため人目を気にしながらも、少しだけだからと咲良の元へと歩み寄った。


「落涙…私…ごめんなさいね…あなたを守りたかったのに…!兄様達と樊城に向かった黄悠も、遠呂智に捕らわれてしまったの…!」

「そんな…!尚香様…謝らないでください。ご覧の通り私は元気ですし、弟もきっと…無事でいてくれるでしょう…」


そうは言いながらも、動揺をひた隠し、咲良は必死に不安を打ち消そうとする。
遠呂智軍に居る悠生を、果たして、救い出すことが出来るだろうか。
こうして信長に着いていけばいつかは必ず、遠呂智に辿り着くだろうが…、この混沌とした世界にあっても、前向きに生きてくれていることを信じるしかない。


「ええ…。落涙、私と一緒に来てほしいけれど…遠呂智の元にある孫呉には、帰りたくないわよね」


尚香に両手を握られ、間近で彼女の潤んだ瞳を見て、咲良は狼狽してしまう。
素直に、嬉しかったのだ。
尚香はさも当然と言うかのように、咲良を孫呉の一員とし、共に帰ることを望んでくれている。


「尚香様…お気遣いありがとうございます。ですが今は、信長様に着いていきたいと思うんです。信長様の元で、私が成すべきことを見付けたいんです」

「分かったわ。でも、いつか必ず…一緒に孫呉に帰りましょう。私もね、狂った偽物の孫呉はいらないの。必ずよ?私達の故郷は孫呉なんだから」


咲良は尚香の言葉に深く頷いた。
いつか遠呂智を葬り、全てが終わった後は…、今は、孫呉に帰るという選択肢しか無い。
物語のエピローグを無事に見届けたからと、長い夢から目を覚まし、悠生を残して自分だけが現実世界に戻るなんてことは、考えたくなかった。


「あとね、これ。あなた落としたでしょう?返さなくちゃと思って預かっておいたのよ」

「あ…、」


そう言って尚香に差し出された、くすんだ金色の鈴は…以前、甘寧に貰ったものだ。
綺麗な服や髪飾りよりも、貴方の鈴が欲しい。
そんなことを言い、甘寧を不思議がらせた。
あの頃はまだ、甘寧のことを一人の武将か、友人としてしか見ていなかった。

この鈴はずっと笛のケースに括っていたのだが、妲己に襲われた時、紐が切れて落としてしまったのだ。
礼を言い、受け取ろうと差し出した手を、すんでのところで引っ込めてしまった。
これには尚香も驚き、何事かと咲良の顔を凝視する。


 

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